ありがとうございます 神書 3-8

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移り変わる姿を感謝の心で受け止めること


 移り変わる姿をそのままに、感謝の心で受け止めることができれば善いのです。




 元より 移り変わる姿を押し止めることも、小我(業想念の心)の思い通りに移り変わらせることも不可能なのです。


原子一個の変化すらも、小我の意のままにはならないのです。細胞という神さまの王国を、肉体という神さまの王国を、更には地球という神さまの王国を、どうして小我の意のままにできると言えるのでしょうか?絶対に不可能なことは、明々白々です。それにも気付かない愚かな心が、業想念の心なのです。そんな業想念の心を自分の心として掴むことは、愚かさを通り越して、憐れとしか言いようが無いのです。


 業想念の心を自分の心として掴んでいる限りは、真実の幸せ(無限の無限の幸せ)は永遠に訪れては来ないのです。




 業想念の心とは、一日も早く、一刻も早く、訣別しなければならないのです。業想念の心を離せばよいのです。業想念の心を全部捨て切ればよいのです。業想念の心は、過去の・過ぎ去った・用済みの・不必要な・無価値な・塵埃のような・糞尿のようなものです。捨てなければ、塵埃の山の中に、自分を置くことになるのです。捨てなければ、糞尿の排出できない苦しい状態に、自分を置くことになるのです。捨てなければ、呼吸もできない状態に、自分を置くことになるのです。




 業想念の心を捨てれば、本心の心は自然に蘇って来るのです。感謝の心は自然に湧き上がって来るのです。常に無限の無限の幸せで一杯の自分になれるのです。業想念の心に惑わされてはならないのです。騙されてはならないのです。業想念の奴隷になってはならないのです。業想念の心・小我・五欲の心を切り捨てて、本心の心・大我・感謝の心をしっかりと自分の心として掴むことが大事なのです。業想念の心を相手にしないで、絶対神の心・全徳の無限の無限の輝きなる心だけを相手にしてゆけばよいのです。




 自分の心は絶対神の無限の無限の幸せな心です。自分の心は絶対神の無限の無限の喜びの心です。自分の心は絶対神の無限の無限の安らぎの心です。自分の心は絶対神の無限の無限の平和な心です。自分の心は絶対神の無限の無限の調和の心です。自分の心は絶対神の無限の無限の愛の心です。自分の心は絶対神の無限の無限の叡智の心です。自分の心は絶対神の無限の無限の美しい心です。自分の心は絶対神の無限の無限の素晴らしい心です。自分の心は絶対神の無限の無限の清らかな心です。自分の心は絶対神の無限の無限の明るい心です。自分の心は絶対神の無限の無限の謙虚な心です。自分の心は絶対神の無限の無限の素直な心です。自分の心は絶対神の無限の無限の自由な心です。自分の心は絶対神の無限の無限の新鮮な心です。自分の心は絶対神の無限の無限の正しい心です。自分の心は絶対神の無限の無限の輝きなる心です。……