ありがとうございます 神書 3-5  無限の安らぎが一杯!

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真実の祈りを祈る時に必要な心構え


 祈りとは、最も厳粛な儀式(一定の規則に従って行う作法・行事)です。宇宙絶対神の最高表現・全徳の無限の無限の輝き・天照大御神を、一瞬一瞬新たに感受し、一体化するところの、尊厳極まりなき・荘厳極まりなき・厳粛極まりなき儀式です。真実の祈りを祈る時には、それなりの心構えと真剣な態度を必要とするのです。正しい目的と真実の願いを、心にしっかりと保持して臨むことが大切なのです。業想念の心のままで、いい加減な態度のままで、いつまでも安閑としていては、本心が輝いて来ないのです。




 自分自身の自由意志で何を選択してゆくかということが、自己の運命の全てを決定するのです。自分自身がいつまでも、業想念の心を自分の心として掴んでいては、永遠に業想念の奴隷で終わるのです。業想念の心と本心の心の区別をしっかりとつけて、本心の心のみを自分の心として、しっかりと選び取ってゆかなければならないのです。本心の心の立場に立つ時に、真実の祈りの道を歩むことができるのです。




 本心の心の立場に立つということは、謙虚に謙虚になるということです。これが自分だという過去の姿を掴んでいては、決して謙虚にはなれないのです。過去の善き姿を掴むだけで、高慢になったり、エリート意識に陥ったりするものです。また過去の悪しき姿を掴むだけで、卑下慢になったり、投げやりや自暴自棄の状態に陥り易いものです。




 謙虚になるということは、マイナスを掴んで、心をマイナスで一杯にするということではないのです。マイナス無限大の立場に立って、心を空っぽにして、神さまの全徳の無限の無限の輝きの全てを、素直に感受できる自分になるということです。過去の一切を心から放ち去って、一瞬一瞬新たに、神さまの最高表現を受け入れることなのです。




 マイナスに見える自他のどんな姿に対しても、みんな自分の責任なのだと、心からお詫びすることによって、下へ下へと自分の心の立場を移してゆくことができるのです。心の立場を下へ移せば移すほど、謙虚になれて、神さまの最高表現を感受し易くなるのです。自己弁解したり、他に責任を帰するようでは、いつまでたっても、決して謙虚な本心の自分に戻ることはできないのです。




 神さまの助けは、常に謙虚な心に対して、惜しみなく与えられるものなのです。神さまの本当の助けを受けてこそ、祈りの姿勢も心身共に整うのです。神さまが自分の中に入り来れば、青空に太陽の輝くような心となり、姿勢も威儀端然としてくるのです。先ずは謙虚に謙虚になることを心掛けることです。他をマイナスに見て責め裁く、業想念の心を捨て切ることです。『神さまをマイナスに見て御免なさい』と、心の底から詫びて詫びて詫び続けることです。その謙虚な心の中へ、神さまは入り来るのです。