ありがとうございます 神書 3-25   無限の無限の安らぎが一杯!

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謙虚で素直な心


 謙虚で素直な本心の心になれば、プラスに善きもの(真実の幸せ)を、無限に受け取ることができるのです。




 人はそれぞれ自分の心の器を持っていて、その心の器に入るだけのものを受け取っているのです。




 謙虚で素直な心というのは、口の広い何でも入る無限大の器です。




 傲慢(高慢・卑下慢)な心というのは、口の狭いがらくたの一杯詰まった小さな器です。




 謙虚で素直な心というのは、神さまに一切をお任せした感謝の心であって、与えられるすべてのものに無限の価値を見出して、大きく喜んで受け入れる心です。傲慢な心というのは、与えられるものに何の価値も見出せずに、自分勝手な考えで拒絶し、受け損なう心です。




 人にとって一番価値あるものは、『本心の心』なのです。


 本心の心をしっかりと掴んで自分のものにすれば、無限の無限の価値ある全てを、手中にしたことになるのです。


 本心の心をしっかりと掴めるようになる為には先ず、本心の心を覆い隠している、業想念の心を消し去ってもらわなければならないのです。


 業想念の心が厚く覆っていると、それに惑わされて、本心の自分に気付くことすらできないのです。だから守護霊・守護神さまは常に、業想念を消し去る為に全力を尽くしているのです。




 神さまへの感謝を忘れた生き方というのは、常に業想念を大きく積み重ねているものです。


 傲慢な心では、守護霊さまの導きを受けることもできないので、自分の間違いに気付くことも少ないのです。


 自分は何の悪いこともしていないのに、どうしてこんなに苦しまなければならないのかと、責任を他に転嫁して愚痴るばかりです。そして益々大きく業想念を積み重ねてゆくのです。


 愚かと言われても、自分ではどうすることもできないのです。




 守護霊さまが身代わりに、業想念を背負って消し続けても、なお業想念の消滅が、遅々として進まなければ、守護神さまの強烈な光が投げかけられてくるのです。


 そうすると業想念は轟音を発して崩れ去り、この世に七難八苦の姿となって噴出してくるのです。


 守護神さまの永遠の目から眺めれば、この一生は一瞬のようなものです。


 大きな業想念を背負ったままあの世へ行けば、必ず地獄の苦しみを何万年以上も味わうことになるのです。


 そんな地獄の苦しみを味わうことを思えば、この世にいる間に、大きな業想念を消し去ってあげたいと思うのは当然です。何故ならこの世の苦しみは、地獄の苦しみと比較すれば、万分の一以下の軽さで済むからです。




 この世に噴出してくる七難八苦は、守護神さまの大きな浄めの働きです。


 大きく喜んで、感謝して受けるのが正しいのです。


 逃げないで、感謝してその苦しみを受ければ、大きく業想念を消し去ってもらえるのです。


 いつまでも業想念の借金を先送りしていては、大損するのは自分自身なのです。