ありがとうございます 神書 3-22   無限の無限の安らぎが一杯!

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真(まこと)のおかげとは、神徳


 真(まこと)のおかげとは、神徳であり、神さまの変化自在の御姿であり、新たなる全徳の無限の無限の輝きです。心の影響としての物質的御利益は、本物では無いのです。この世の移り変わる姿に、一喜一憂しているようでは、真(まこと)のおかげは受けられないのです。五感六感の感覚で感じた世界は、自分の心の投影された世界です。それは神さまの真創造の世界では無いのです。五感六感の感覚を超越して、本心の直感で捉える世界こそが、神さまの真創造の本物の世界です。




 本物を把握しなければ、真(まこと)のおかげを得たとは言えないのです。正しい信仰・本物の信仰は、この真(まこと)のおかげを得ることです。正しい信仰・本物の信仰に生きようとする者は、神さまの真創造の本物の世界を、餓え乾くように真剣に求め続けなければならないのです。この世の物質的御利益ばかりを求めているようでは、落第なのです。例え地獄に落ちようとも、七難八苦が連続しようとも、脇目も振らず一心に、神さまの真創造の世界に心を向け続けてこそ、本物の正しい信仰者と言えるのです。




 本心の自分を生きるということは、五感六感の感覚に惑わされること無く、心を深く深く鎮めて、神さまの世界に生きることなのです。神さまの世界に生きてこそ、感覚世界にも自由に遊ぶことができるのです。本心の自分を生きる為には、業想念の心を相手にしないで、本心の心をしっかりと掴むことです。本心の心と業想念の心の区別をしっかりと付けて、一瞬一瞬新たに新たに、本心の心を選び続けてゆくのです。




 本心の自分に戻るチャンスは、今を逃しては永遠に来ないかも知れないのです。業想念の心から本心の心に戻るチャンスは、滅多にない貴重なチャンスなのです。そのチャンスを無造作に捨て去るようでは、渦巻く濁流に翻弄される木の葉のように、業想念の渦巻く濁流に飲み込まれてしまって、永遠に浮かび上がれないかも知れないのです。




 過去のすべてを心から放し、マイナスの極に立ってこそ、神さまの全徳の無限の無限の輝きを、新たに新たに感受できる自分になれるのです。謙虚な心こそが、本心の心の一大特徴です。謙虚な心は、神さまに一番好かれる心です。謙虚な心の中へ、神さまは喜んで入って来て下さるのです。自我の心を捨て切って、本心の与え尽くす心を生きようと、絶対奉仕の道を歩んでこそ、我の無い・謙虚な心に戻れるのです。自我の心では、どれほど信仰しても、真(まこと)のおかげを受けることは永遠に不可能なのです。




 我を捨てて、我の心を相手にしないで、謙虚な心を生きようと努力してこそ、真実の祈りを実行できる本心の自分に戻れるのです。そして『ありがとうございます』(天照大御神 今・ここに在します! 新たなる全徳の無限の無限の輝きが一杯!)という祈り言葉の真実の相象を、深く深く味わって、無限の無限の幸せで一杯!になれるのです。