ありがとうございます 神書 3-18  無限の無限の安らぎが一杯!

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真実の師


 真実の師を見出せた人は幸せです。


 真実の幸せ(悟り)へ守り導いてくれている本当の導師とは、宇宙の大神さま(守護神・守護霊さま)です。その宇宙の大神さま(守護神・守護霊さま)の愛と知恵の働きを、大きく受けている人(悟りを開いた人・自分を捨て切った大犠牲精神の持ち主)こそが、この世における真(まこと)の指導者なのです。


 守護神・守護霊さまからの直接の導きを、一○○パーセント正しく受けるということは、この世の人にとっては難事中の難事です。それは業想念の厚い壁が、正しい交流を邪魔しているからです。




 心を完全に清め尽くさなければ、明るい無私無欲の心にならなければ、神さまの愛と知恵のパイプ役にはなれないのです。


 真(まこと)の指導者である為には、本心〔愛の心(神性を拝む心・報い求めず与え尽くす心・自由を縛らない心)〕を輝かして、決して業想念〔五欲(名誉欲・財欲・色欲・食欲・睡眠欲)〕に負けてはならないのです。


 常に常に心を清らかに保ってこそ、守護霊・守護神さまの働きを、一○○パーセント正しく受けられる器になれるのです。




 真実の師弟関係が成立するのは、絶対奉仕(無我随順・献身奉仕)の心になった時からです。


 弟子(信仰者)が師匠(神さま)利用しようとしている間は、まだ自我が勝っているので、本当の助けを受けることはできないのです。


 自分の思い通りになることを願っているようでは、師匠(神さま)が弟子(信仰者)に与えようとしているものと、弟子(信仰者)の求めているものとが一致しないので、その助けを十分に受けることができないのは当然です。




 利用しようとする業想念の心を捨てて、本心の絶対奉仕の心を生きようとしてこそ、神さま(守護神・守護霊さま・師匠)の持っているすべて(真実の幸せ・悟り)を継承することができるのです。


 業想念の心のままでは、真実の師匠とは心の波長が合わないので、自分から勝手に離れ去るものです。


 そして自分を利用しようとする偽の師匠とは波長が合って、また新しい出会いを体験して、勉強してゆくのです。




 真実の師匠というものは、常に『真剣さ』だけを求めているのです。


 真剣というのは、我武者ら・無茶苦茶・緊張・無理とは違うのです。


 真剣とは、真理の言葉を駆使して、本心の自分をしっかりと生きることなのです。


 本心の自分を生きるとは、『今』を大切に生きることです。


 絶対より一瞬一瞬新たに現れている、いのちの完璧な表現は、『今』の中にあるのです。


 そのいのちの完璧な表現を、無限の無限の価値あるものとして、十二分に味わい尽くすことが、『今』を大切に生きることなのです。


 それが一所懸命・命懸け・一点集中・全力集中・感謝一筋・喜び三昧等々の心となって、最も大事なこと・最も大切なものに“ひたすらに”心を集中する生き方となって現れてくるのです。