ありがとうございます 神書 3-17    無限の無限の安らぎが一杯!

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与える側の神さまの真剣さを知るということ


 神さまは常に常に『真剣』な生き方を願っているのです。神さまは一瞬一瞬新たに、全徳の無限の無限の輝きをもって、全大宇宙のすべてのすべてと現れているのです。


 その神さまが与え尽くさんとしている、プレゼントをもって、感受する為には、真剣な心が絶対に必要不可欠なのです。

 
 真剣な心で無ければ、神さまの恵み・助け・祝福を、正しく感受することは、永遠に不可能なのです。




 与える側の神さまの真剣さに比べて、受ける側の人間の真剣さが、どれだけいい加減なものであるか、雲泥万里の差があることに、気付かなければならないのです。


 神さまは全大宇宙のすべてのすべてを、新たに新たに、置き換えて、与え尽くそうとしているのです。


 それに対して、人間は過去の・用済みの・つまらない・小さなものにしがみついて、新しいものを全く受けようとしていないのです。


 これは神さまの絶対の愛を無視した、無礼千万な態度です。


 神さまからの新たなプレゼントを、拒絶し続けている、傲慢極まりない態度です。こんな間違った生き方をしていて、無限の無限の幸せを実感できる道理は無いのです。


 七難八苦は、その間違った生き方に気付かせる為の、神さまの愛の諭しです。




 『真剣』な心とは、マイナスの極に立って、プラスの極を受ける心です。


 極楽の地で太陽の暖かい陽射しを受けるように、地獄で仏に出会うように、マイナス無限大の極に立って、地獄のどん底から、プラス無限大の極の相象を、神さまの全徳の無限の無限の輝きを感受することです。


 過去を掴み、小さなものに執着していては、新しいものを、無限に大きな物を受けることは不可能なのです。




 真剣になるとは、勇気をもって過去の全てを放し、神さまの愛を信じて、新しい物を受け直すことです。過去のすべてを心から放すということは、自分の所有は何も無いのだと徹底して思い返して、謙虚に謙虚にマイナスの極に・地獄のどん底に立ち返ることです。いかなる場合でも、自分の方からあれが欲しい・これが欲しいと求めたり、こうして欲しい・ああして欲しいと願うのは、高慢極まり無い態度なのです。受ける側には、要求する資格は全く無いのです。




 もしあなたが誰かに善意で一万円のプレゼントを与えた時に、貰った側が感謝もしないで、十万円のプレゼントが欲しい、百万円のプレゼントが欲しいと要求してきたら、喜んでそれに対応することができるでしょうか?神さまからの最高のプレゼントも、謙虚にマイナスの極に立たなければ、受け取ることはできないのです。




 神さまからの最高のプレゼントとは、全徳の無限の無限の輝きをもって、光一元に一大統一されている全体宇宙のすべてのすべてのことです。謙虚にマイナスの極に立って、すべてを光一元に拝み上げて、神さまからの最高のプレゼントを受けた時に、真剣な生き方となるのです。