ありがとうございます 神書 3-15   無限の無限の安らぎが一杯!

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みんなの幸せの為だけに、本心の自分を生きる時


 小さな自分(肉体の自分)のことを忘れて、みんなの幸せの為だけに、大きく本心の自分を生きる時に、小さな自分も全体から助けられて、無限の無限の幸せで一杯の状態になるのです。


 先ず小さな自分を全体の為に捧げ尽くすことが、神さまの護りを・全体からの助けを受け易くする秘訣です。

 
 小さな自分の立場に執して、他に対して求める心を起こせば起こすほど、神さまの護りを・全体からの助けを受け難くするのです。




 何故かと言えば、


 宇宙の本質は、『自分を与え尽くす時に、その虚を埋めるように、全体から必要なものが流れ入る』仕組みになっているからです。


 他に対して求める心を起こせば、宇宙本来の自然な流れに逆らうことになるのです。


 そして今有るものまで自分の回りから逃げ出してしまうのです。


 与える心を生きれば、求めなくても自然に幸せが集まって来るのです。求める心を生きれば、苦労してかき集めた幸せも、押し出されるように自分の回りから逃げ出してしまうのです。




 地獄と極楽の状態を比較すれば、次のように例えられるのです。どちらの世界にも、山盛りの御馳走と背丈ほどのお箸が、用意されているのです。地獄では、その長いお箸を使って、御馳走を奪い合い、自分の口に入れようとしているのです。ところがお箸が長すぎて、一口も食べることができなくて、みんなガリガリの貧相な姿になっているのです。極楽では、その同じ長いお箸を使って、他の人の口へ御馳走を運んでいるのです。みんな満腹して、円満な富相の姿になっているのです。


 お風呂で湯を自分の方から押し出せば、湯は周りから自分の方に流れ入ってくるのです。

 逆に自分の方に湯を取り込めば、湯は自分の回りから逃げ去ってゆくのです。


 このように与える心を生きる者は、求めなくても豊かに与えられるのです。


 求める心(奪う心)を生きる者は、求めても求めても、その幸せは逃げ去ってしまうのです。




 自分の幸せを先ず第一に考える人は、利己的な求める心を生きているのです。余裕ができたら他を助けようと思っていても、今以上に余裕は無くなってゆくのです。 


 他の幸せ・全体の幸せを第一に考える人は、与える心を生きているのです。周り・全体からは、大きな幸せを自然に与えられるのです。




 今与えられている幸せを感謝の心で受けている者は、恩返し(報恩)の心で、他の・全体の幸せを優先させることができるのです。



 不平不満不足の心を少しでも持っている者は、求める心に陥って、自分の幸せを優先させる利己的な生き方になるのです。



 本心の大きな自分を生きようと心掛けていれば、感謝一筋に、与え尽くす生き方を、自然に無理無く実践できるのです。そうすれば常に無限に無限に幸せで一杯!の心が湧き上がって来るのです。