ありがとうございます 神書 2-8   無限の無限の喜びが無限に無限に一杯!

神書目次へ

千里の道も一歩から


 実行が尊いのです。千里の道も一歩からです。神さま(無限の無限の幸せ)に到達する為には、日々瞬々刻々の前向きの努力・実行が大切なのです。地獄の苦痛を味わってもよいと心底から思うなら、無茶苦茶な生き方をすればよいのです。それを阻止することは、誰にもできないのです。地獄の苦痛を味わうのも、最高の幸せを味わうのも、その人の自由意志で決定したことであって、他の何者の所為でも無いのです。より大きな幸せを味わいたいのであれば、神さまに向かって一歩でも近づけるようにすればよいのです。神さまに一歩でも近づく為には、プラスの言葉を使い、プラスに思い、プラスの行いをすることが必要なのです。




 何事でも最初は神さまの方から降りて来て、人に寄り添って、手を取り、足を取って、一緒になって、お手本を示して下さるものです。お祈りの練習の場合も、最初の頃は、神さま(守護の神霊)がお祈りして下さり、祈り方・祈りの成果・祈りの功徳等を模範的に示して、到達すべき目標を与えて下さるのです。後は自分自身の努力によって、順次にその目標を達成してゆかなければならないのです。




 神さま(守護の神霊)は何時までも人に合わせて、代わりに何でもして下さるのだと、甘く考えているとしたら、それは大間違いなのです。自分自身の努力によって、与えられた目標を達成してゆかなければ、次なる目標を与える為に、お手本をお示しに降りて来ては下さらないのです。このことを十分に肝に銘じておく必要があるのです。神さまが助けに降りて来て下さっている時でも、自分が前に進もうとしなかったら、決して前には進めないのです。




 幼児でも食べ物を口に運んでもらったら、喜んで食べるのです。また自分自身で食べ物を自分の口まで運ぼうとするものです。更には他の人の口にまで食べ物を運ぶ練習をするものです。何時までも口を大きく開けて、食べ物を運んでくれるのを待っているようでは、大馬鹿者です。そんな怠け者は、自分勝手にひもじい思いをして、餓死すればよいのです。




 お祈りというのは、本心の自分を成長させる、食べ物に当たるのです。自分自身が餓え乾くように求めなければ、お祈りを自分のものにすることはできないのです。お祈りの無い人間は、行ける屍です。ガリガリの亡者です。お祈りの無い人間には、本心の成長は無いのです。自分にはお祈りは向いていない・お祈りができない・お祈りしたくない等とうそぶく者は、自分で自分の臍でも嚼んで、死んでしまえばよいのです。お祈りは自分自身が実行しなければ、絵に描いた餅と同じで、空腹を満たす(幸せを掴む)ことはできないのです。お祈りも自分で材料を集め、自分で工夫し、自分から祈るようにならなければ、お祈りの真(まこと)の味は判らないものです。