ありがとうございます 神書 2-51   無限の無限の喜びが無限に無限に一杯!

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自我の心と神さまの御心


 自我の心を死に切ってこそ、神さまのお役に立てるのです。自我の心(業想念の心)では、神さまの御心は掴めないのです。自我の心と神さまの御心とは、その価値判断が正反対なのです。


 自我の心をのさばらしたままでは、神さまの御心を生きることは不可能なのです。幾ら神さまの為に奉仕しているのだと言っても、自我の心でしていることは、神さまの働きの邪魔ばかりをしているのです。




 本当に神さまのお役に立ちたいと願うならば、先ず自我の心を死に切って、本心の心をしっかりと生きなければならないのです。




 自我の心とは、傲慢な心・欲深い心のことです。


 傲慢な心とは、自分は偉いのだと自慢する心であり、自分は駄目なのだと卑下する心です。


 欲深い心とは、求める心・奪う心です。


 自我の心が強ければ強い程、神さまの働きを邪魔するものです。


 謙虚な心・感謝の心・本心の心に戻ってこそ、神さまの働きを邪魔しない自分・神さまのお役に立てる自分になれるのです。




 神さまへの絶対奉仕の道は、自我の心を死に切って、本心の心を輝かせる為のものです。


 自分のすべてを神さまにお返しして、自分のすべてを神さまに捧げ尽くして、先ず自分というものを無くしてゆくことが大事なのです。


 自分のすべてを神さまに捧げ尽くした時に、初めて自我の心を死に切ることができるのです。


 その時に本心の心が復活して、大きく輝き始めるのです。


 本心の自分に戻る為には、九九パーセントでは無く、一○○パーセントの捧げ尽くし方が必要なのです。




 無限の業想念を持ったままで良いから、自分のすべてを神さまに捧げ尽くして、どうか神さまのお役に立てるようにして下さいと願えば、神さまは大きく力を揮うことができるのです。一○○パーセント神さまにお任せするということが、最も大切な要点です。




 神さまへの全託は、本当に自分を一○○パーセント捧げ尽くしたものであれば、一度で十分なのです。

 しかし言葉だけの全託では、自我の心が顔を出してくるものです。その度に全託の決意表明をする必要があるのです。全託の決意表明をし続ける全託行によって、本物の全託に近づいてゆくのです。




 神さまの御心を、神さまの願いを生きる為には、正しい祈りが必要不可欠なのです。


 正しい祈りとは何かをしっかりと把握して、一にも二にも実行するということが大事なのです。


 神さまの御心は、全徳の無限の無限の輝きとなって、一瞬一瞬新たに顕現し続けているのです。


 その新たな全徳の無限の無限の輝きを感受してゆくということが、正しい祈り方です。


 『天照大御神 今ここに 在します! 新たなる全徳の無限の無限の輝きが一杯! みんな新たなる全徳の無限の無限の輝きで一杯! ありがとうございます』と深く深く感受してゆくことが、正しい感謝の祈りです。