ありがとうございます 神書 2-46   無限の無限の喜びが無限に無限に一杯!

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愚痴をこぼさないこと


 本当の幸せを掴みたいのであれば、決して愚痴をこぼしてはならないのです。

 愚痴をこぼせばこぼすほど、幸せは嫌がって、遠くへ逃げ去ってゆくのです。

 幸せは感謝の在るところへ、喜んで自然に集まって来てくれるのです。

 過去世から積み重ねて来た大きな業想念(生まれつき持っている宿業)を、この世においてどれだけ沢山、消し去ってもらえるかということが、人生の最大の課題の一つなのです。




 愚痴ってはいけないと分かっていても、愚痴らずにはおれないのは、大きな業想念に負けているからです。

 このような愚痴る状態のままで、七難八苦の苦痛を味わうことなく、大きな業想念を消し去ってもらえるかと言えば、普通はそれほど甘くは無いのです。

 ところが今の時代は、地球救済のタイムリミットがある為に、守護の神霊の大愛によって、常に間断無く、大きく業想念は消し続けられているのです。

 しかし守護の神霊への感謝が、有るか無いかということによって、各自の運命の現れ方に、大きな違いが生ずるのは、止むを得ないことなのです。




 地獄の苦痛の阿鼻叫喚していなければならないところを、その苦痛を大きく軽減してもらった姿が、この世の七難八苦なのです。

 更に助けに助けてもらって、大難を小難に・無難に済ましてもらっているわけです。こんなに甘い甘い話は滅多にあるものでは無いのです。だからこそ守護の神霊への感謝が、絶対に必要なのです。

 どのようなマイナスの運命の現れ方であっても、真心から感謝し・喜ばなければ、恩知らずなのです。恩知らずの人間が幸せになれる道理は、どこにも無いのです。

 守護の神霊の加護に対しては、どれだけ深く感謝し続けても、まだまだ感謝は足りないものなのです。従って感謝を忘れたら、真心から『感謝を忘れて、御免なさい』とお詫びしなければならないのです。




 不平・不満・不足を並べ立てて、幸せになった人は一人も存在しないのです。

 愚痴れば愚痴るほど、マイナスに見れば見るほど、幸せから遠ざかるのです。そして地獄のどん底にまで転落してゆくことになるのです。

 言葉通り・思い通りに成るのが法則です。

 従って幸せになりたかったら、法則に則って、プラスに生きれば良いのです。それはすべてを光一元に眺め、すべてにプラスの無限価値を見出し、その本質の素晴らしさを褒め讃え・感謝し・喜び続けて、幸せになる方法です。




 自分の自由意志でプラスの生き方を選び、自分の力でプラスの方向に進めるようになってこそ、本当の幸せを掴むことができるのです。

 マイナスの言葉を使って、マイナスの生き方を選び、マイナスの方向に進むことができるのなら、人の本質はプラスだから、プラスの言葉を駆使し、プラスの生き方を選び、プラスの方向に進むことの方が、遙かに遙かに易しいのです。




 できない、できない、と甘えてばかりいないで、本心の無限力をしっかりと発揮してゆくことです。