ありがとうございます 神書 2-45   無限の無限の喜びが無限に無限に一杯!

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仏の四無量心=慈悲喜捨の心


 仏の四無量心(慈悲喜捨の心)を生きることが、本心の自分を大きく輝かせることになるのです。四無量心とは、どれほど素晴らしいかを推し量ることのできない、四つの無限に素晴らしい心と言う意味です。自分が四無量心を持って相対すれば、宇宙のすべても四無量心をもって相対してくれるのです。




 「慈」とは、慈しむ心・思いやる心・与える心・献身の心・奉仕の心・等々の心です。

 絶対神の全徳の無限の無限の輝きを、個々各々の本心の求め・願いに応じて、必要なだけを的確に与え尽くして、それぞれに相応しい幸せ・喜び・安楽等を与えてゆく心です。

 絶対神の立場に立って、新たなる全徳の無限の無限の輝きを、光一元に与え尽くす心です。

 これは小さな求める心の個我を捨て切って、大きな与える心の本心を生き切ることです。




 自分の救われ・幸せは一番最後にして、他の・みんなの救われ・幸せを先ず一番に願う心です。




 「悲」とは、一大包容の心・寛容の心・謙虚な心・素直な心・感謝の心・賛嘆の心・大犠牲の心・等々の心です。

 絶対神の無限の無限の聖愛をもって、みんなの苦しみ・痛み・悲しみ・悩み・等々のマイナスのすべてを、自分の身に振り替えて、喜んで受ける大犠牲の心です。そしてマイナス無限大の最低の立場から、光一元に仰ぎ見て、個々各々の・みんなの・全体のプラス面(無限の価値)をしっかりと認め、褒め讃え・感謝し・喜ぶ心です。

 これはマイナスの姿のすべての責任を、自己に帰す謙虚な心です。

 マイナスの苦痛等を、先ず自分が一番大きく背負って、他の・みんなの苦痛等を、少しでも軽減したいと願う心です。




 「喜」とは、全体の喜びを・みんなの喜びを・個々の喜びを・ありとあらゆる一切のどんな喜びをも、自分自身の喜びとして喜ぶ、無限の無限の喜びの心です。

 小さい個我の喜びから出発して、他の喜びを自分の喜びとして加えてゆく生き方は、万神万生有の一切の喜びをも、自分の喜びに加えてゆくことができるのです。そして絶対神の無限に無限に大きく・無限に無限に深い、ありとあらゆる一切の喜びを、自分の喜びそのものにしてゆける心なのです。




 「捨」とは、今・ここに(すべての時間・すべての空間に)現れている全大宇宙のすべてのすべてを、一瞬一瞬新たに新たに、受けては放し・放しては受ける、無限に無限に新鮮な・新たな感動・新たな感謝・新たな輝きの心です。

 過去の一切の姿を心から離して、全大宇宙のすべてのすべてを、絶対神の全徳の無限の無限の輝きそのものとして、新たに新たに感受してゆける心です。