ありがとうございます 神書 2-43    無限の無限の喜びが無限に無限に一杯!

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人も絶対神の分霊


 絶対神は全大宇宙のすべてのすべてと現れて、自分で自分の表現を最高に味わい楽しんでいるのです。

 人も絶対神の分霊として、神我一体の自覚の深浅に応じて、自分の世界を創造し、その表現を味わい楽しんでいるのです。




 絶対神の表現は、全徳の無限の無限の輝きをもって、顕幽(光の世界・闇の世界)両界を、光一元に一大統一した最高傑作です。その味わい方は、マイナスの極からプラスの極を仰ぎ見るという、最高の楽しみ方です。




 人も絶対神の分霊として、神我一体の自覚を深めることによって、自由自在に自分の世界を創造し、その表現を心行くまで楽しむことができるのです。その為には移り変わるいかなる表現をも掴んではならないのです。掴めばそれに執着し、執着すればそれを自分のもの・自分と錯覚してしまうのです。




 相対の世界に表現されたすべてのものは、変化消滅する無常なるものです。その無常なるものを掴もうとすること自体無理なのです。掴んだと思った瞬間に消滅して無いのです。

 既に無いものを有ると思っているのは、掴んだという思いの残像です。それは自由自在な本心の心とは別個の業想念の心なのです。

 業想念の心を自分の心であると錯覚するところから、自由自在な本心の自分を見失ってゆくのです。執着する業想念の心を蓄積すればするほど、自由自在な本心の心は奥に隠されてしまうのです。




 絶対神の分霊としての自由自在な本心の自分は、自分の世界の創造主であり、自分の運命の支配者であり、また自分の世界・運命を享受(喜んで受け入れ味わい楽しむ)する者です。

 本心の自分は、言葉の力を駆使して、心・信念を自由自在に変化させて、自分の世界・環境・運命を、自分の大いなる夢・希望・理想の通りに実現させてゆくのです。

 絶対神の一瞬一瞬新たなる全徳の無限の無限の輝きの中から、自分に必要なものを、祈り言葉を駆使して、自分の心に受け入れることによって、それを自分の世界・環境・運命に投影して実現してゆくのです。




 移り変わるもの・変化するもの・消滅するものは、本当の自分では無いのです。

 本当の自分は、絶対神の分霊・本心の自分・永遠不滅常住不変金剛不壊の存在なのです。

 肉体も魂も本当の自分では無いのです。それは本当の自分の表現の一部に過ぎないものです。

 移り変わるものは、自然に移り変わり、自然に消滅してゆくのです。

 自分の眼前をどのような世界が通り過ぎても、『来るものは拒まず、去るものは追わず』の心掛けが、本心の自分・不動心に戻る為には必要なのです。肉体や魂だけが自分の表現体では無いのです。




 自分の見ている環境全体が、世界全体が自分の表現体なのです。このことをしっかりと理解し認識することによって、世界の創造主・環境の支配者・運命の主人公になることができるのです。