ありがとうございます 神書 2-42   無限の無限の喜びが無限に無限に一杯!

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業想念の泥沼


 業想念の泥沼に落ちたら、もがけばもがく程、深みに沈んでゆくのです。自力での脱出は不可能なのです。にもかかわらず傲慢な人間は、神さまの折角の救いの手をも振り払って、頑固に拒絶するのです。愚かしい限りです。素直に感謝して、神さまの助けを受け入れたら、直ぐにでも助け上げてもらえるのです。これは人生万般すべての問題に当てはまることなのです。




 業想念の泥沼に落ち込んだままでは、決して幸せにはなれないということは、明白な事実です。

 それなのに、業想念の泥沼に落ち込んでいる人間が、自分の周りに余りにも多いと、仲間外れになりたくないという意識が強く働くのか、業想念の泥沼から脱出したいと思わなくなってくるのです。

 そして業想念の泥沼に落ち込んだままで、七難八苦の苦しみからは逃れようと足掻くのです。

 人生万般のすべての問題は、業想念の泥沼から脱出さえすれば、即座に解決するものばかりなのです。




 本心の心は、すべての人が異なる個性を持ち、異なる使命を与えられ、異なる人生の道を歩むものであることを、はっきりと知っているのです。

 だから他と異なることを少しも恐れないのです。他の物真似では決して満足しないのです。

 他からの強制・縛りに屈伏することなく、自分の自由意志をしっかりと保てるのです。

 ところが業想念に覆われてくると、個性は隠され、癖だけが目立つようになり、みんな似たり寄ったりの同じような姿をとろうとするのです。

 そのような業想念の心では、一人でいることが無性に寂しく感じられ、同じような仲間を得て安心しようとするのです。




 頼り甲斐のある本当の親なる神さまを見失ってしまっては、仕方の無いことです。しかし神さま以外の何ものに頼っても、決して真(まこと)のの安心立命は得られないのです。




 業想念の泥沼から脱出して、空中遊歩の神人・本心の自分をしっかりと自覚してこそ、本当の自由自在な生き方ができるのです。また神さまの絶対の愛を感受して、真(まこと)の安心立命を得ることもできるのです。その為には自分自身が業想念の泥沼から脱出したいと、切に願わなければならないのです。

 業想念の心を捨てて、本心の心に戻ろうとしなければならないのです。その願いが不退転の真剣なものであれば、必ず神さまからは救いの命綱が投げかけられて来るのです。否既に投げかけられている、神さまからの救いの命綱を、しっかりと握り締めることができるのです。




 業想念の泥沼から早く脱出する唯一の方法は、この命綱をしっかりと握って離さないことなのです。

 この命綱とは『祈り言葉』です。正しい真(まこと)の“祈り言葉”を、一心不乱に唱え続けて離さないことなのです。




 『宇宙絶対統一神・天照大御神 今ここに 在します! 新たなる全徳の無限の無限の輝きが一杯! ありがとうございます』と寝ても醒めても祈り続けるのです。