ありがとうございます 神書 2-40   無限の無限の喜びが無限に無限に一杯!

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奉仕をするということ


 同じ奉仕であっても、自我の心でする奉仕と、本心の心でさせていただく奉仕とは、雲泥万里の差があるのです。

 自我の心でする奉仕は、高慢で・思い上がった・恩きせがましい・お返しを求める・ちぐはぐな奉仕になるものです。

 自我の心そのものが、最初から神さまの御心とは正反対のものです。だから神さまの御心に叶った奉仕にならないのは当然のことです。




 奉仕というのは本来、自分の心を神さまの御心に帰一させ、神さまの導きに素直に従って、神さまの力で『させていただく』ものです。

 謙虚な心で・素直な心で・感謝の心で、今必要なことを、一瞬一瞬新たに、させていただくものです。

 神さまの御心に叶う・神さまに喜んでいただける・神さまのお役に立てる奉仕というのは、神ながらの・神もよおしの・神まかせの奉仕です。

 神さまの御心・いのち・光の流れのままに、すべてを神さまに任せきった状態が、本当の奉仕なのです。自分が自分の力で何かをするというのは、本当の奉仕からは程遠いものなのです。




 本当の奉仕は、自我の心を無くす為にこそ、必要なのです。

 自我の心・業想念の心・過去世から積み重ねた業因縁を、消し去っていただく為にこそ、本当の正しい奉仕が必要なのです。




 神さまのお役に立ちたい・神さまに喜んでいただきたいという、純粋な心による奉仕が、神さまの大きな助け・お蔭・功徳を受けるのに役立つからです。




 奉仕は決して他の為でも、神さまの為でも、誰の為でも無いのです。

 自分の為に必要だから、させていただくのです。仏教の托鉢は、布施の心・与える心・思いやりの心を起こさせて、仏の無限の救いを受けさせる為のものです。そのように神さまへの奉仕も、神さまが与えようとしている、全徳の無限の無限の輝きを受け易くする為には、絶対に必要不可欠なものなのです。

 本当の奉仕の心を起こすことによって、神さまの愛の心と波長が合って、神さまが与えようとしているものを受けることができるのです。奉仕することによって、感謝も自然に深まり、神さまの助けが受け易くなるのです。




 感謝を深め、本心を輝かせ、無限の無限の幸せを感得したいのであれば、先ず神さまへの奉仕を心掛けることが必要不可欠なのです。

 神さまの御心は、世界の平和とみんなの幸せを実現することです。従って世界の平和とみんなの幸せを祈りながら、粉骨砕身・いのちをも捧げて奉仕することが、神さまへの本当の奉仕になるのです。




 自分の思い通りにならないからと言って、他を責め裁く心が、戦争の根本原因になっているのです。




 相手の気持ちを生かそうとしない不和の心が、みんなの幸せを破壊する根本原因になっているのです。だから自我の心を死に切って、本心の心を生き切ることが、神計らいによる本当の奉仕になるのです。