ありがとうございます 神書 2-35

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武士道とは


 「武士道とは、死ぬことと見つけたり」この真意を体得できれば、悟っているのです。




 死ぬとは、肉体を殺すことではなく、肉体を自分と思う、自我の心を死に切ることなのです。




 自我の心を死に切れば、本心の心に戻れるのです。本心の心は、愛の心・すべてを生かす心ですから、武士道と一致するのです。




 武とは、戈(ホコ)を止める意義であって、戦闘を収める・争いを鎮める・利己心を抑える、破邪顕正の愛の働きを指しているのです。




 権威と愛をもって、争いを無くしてゆく勇者を武士と言うのです。




 武士道とは、大日本精神の一つです。武士は日々、君に忠・親に孝・師に悌を実践して、公に奉仕することによって、自我の心を滅却しようとしたのです。




 君に忠・親に孝・師に悌というのは、自我の心を滅却して、本心の素直な心に戻れば、自然に実践躬行できるものです。逆に忠孝悌を実践しようと心掛ければ、本心の心が出て来て、自我の心を滅却できるのです。自我の心のままで、無理して・我慢して・義務的に・形だけ真似するのでは無いのです。




 本心の心に戻って、本心の心の自覚をもって、素直な心・謙虚な心・感謝の心・思いやりの心・喜びの心をもって、君に・親に・師に絶対奉仕するのが、信の忠孝悌なのです。




 自我の心には自分があり、自分の立場というものがあり、自己防衛の心・自己主張の心が自然に湧き出てくるものです。




 本当に他者の立場に立ち、他者の思惑を生かせるかと言えば、それは元より無理なことなのです。自我の心で幾ら頑張ってみたところで、決して真の奉仕にはならないのです。自我の心で頑張るのでは無く、本心の心で自然に実践してゆくことが大事なのです。




 他者を愛することによって、他者の心に帰一し、他者の本当に必要としているものを知ることができるのです。愛するとは、自己を放棄することであり、自己のすべてを相手に与え尽くすことです。相手の身代わりになって、喜んで苦しみ・死ねる大犠牲精神です。




 自分の願いを捨て切って、相手の願いを生きることです。真実に愛する心には、失望も落胆も苦しみも悲しみも無いのです。感謝が喜びが安らぎが幸せが、湧き上がるのみです。




 自分の幸不幸は、決して他人の所為では無いのです。




 自分が本心の愛の心を生きているかどうかが、幸不幸の分かれ目なのです。




 愛の心を生きている時は、常に幸せなのです。業想念の心に陥っている時は、常に不幸なのです。




 愛する者は愛されていることに気付くのです。神さまの絶対の愛、無限の無限の愛は、間断無く降り注がれているのです。他者を愛し、神さまを愛することによって、神さまの無限に大きく・無限に深い絶対の愛を感受することができるのです。




 愛する幸せ・愛される幸せの両方を、しっかりと自分のものにすることが、真実の無限の無限の幸せで一杯なのです。