ありがとうございます 神書 2-33 無限の無限の喜びが無限に無限に一杯!

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人生における正しい目的

 人は常に正しい目的・目標をもっていなければ、前進することはできないのです。人生における正しい目的とは、本心の自分に戻り、本心の心を磨き出し、本心の自分を大きく輝かすことです。換言すれば神さまが一瞬一瞬新たに与え尽くしてくる、全徳の無限の無限の輝きのすべてを、感受し尽くせる自分に成ることなのです。




 人には完全な自由が与えられているので、神さまが与え尽くしてくるものを、受け入れる自由もあれば、拒絶する自由もあるのです。すべてを拒絶し続ければ、マイナス無限大の極・地獄のどん底に自分を置くことになるのです。そこでは真実に満足することは決して無いのです。その虚を埋めなければ、満足できないのです。何らかの必要性を感じるようになっているのです。そしてその必要性の満たす為には、神さまから受け入れる以外に方法は無い、ということに気付くようになっているのです。




 例えば餓鬼道に落ちた者は、外なる環境に幾ら食べ物を求めても、食べ物が火になって、決して食べることができないのです。そのような体験を積み重ねることによって、必要なものは外なる環境に求めても、決して得られないということに気付くようになるのです。そして先ず自分の心を整えることによって、内なる神さまから、必要なものを心に受け入れて、それを現実化する以外に方法は無いのである、とういことを学ぶようになるのです。




 現実に執着し、過去を掴んで放さない者は、神さまを無視し、神さまの恵みを拒絶しているのです。神さまが一瞬一瞬新たに与え尽くして来る、全徳の無限の無限の輝きを、拒絶し続けて、真実の幸せが得られる道理は無いのです。太陽に背を向けたままでは、太陽の光を直接感受することは不可能です。そのように外なる環境に心を奪われ、内なる神さまに背を向けたままでは、神さまの全徳の無限の無限の輝きを、感受することは永遠に不可能なのです。




 現実に執着し、過去を掴んで放さない者は、過去世から積み重ねて来た業想念の重荷を、自分が好き好んで背負い続けているのです。




 すべての重荷は下ろせば済むものを、自分勝手に掴んで放そうとしないだけなのです。新しい神さまからのプレゼントは拒絶して、古い過去の残骸だけは大事に掴んでいるのです。




 人は自分の世界の創造者・支配者・主人公なのです。神さまから自分の心に感受したものを、外界(環境・運命)に投影して、それを自分の世界として眺めているのです。過去を放し、執着を捨て、自我の心を無くした者のみが、真実に謙虚な心になれるのです。




 真実に謙虚な心になった者のみが、マイナス無限大の極から、光一元に拝み上げて、無限の無限の幸せを直接感受することができるのです。現実の幸せは、その幸せな心の投影として、後から自然に付き従って来るものなのです。