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『感謝と奉仕』『求道と伝道』

 『感謝と奉仕』『求道と伝道』は、悟りへの道を歩む車の車輪のようなものです。どちらか一方に片寄れば、同じ所を堂々巡りして、前進できなくなるものです。感謝の心で受けたものは、自然と他に与えたくなる、即ち奉仕したくなるものです。また他に与え尽くすものが多くなればなるほど、即ち奉仕すればするほど、感謝の心で受けるものが多くなってくる、即ち感謝の心が深まってくるものです。天地の自然な働きというものは、神さまの愛の働きであって、思いやりと寛容の心の働きです。

 感謝というのは、マイナスの極から光一元に仰ぎ見て、すべてをプラスに感受してゆく心、即ち寛容の心の働きです。奉仕というのは、必要なものを的確に与え尽くしてゆく心、即ち思いやりの心の働きです。思いやりと寛容の心が深くなることが、即ち愛が深くなることが、悟りへの道を前進している、即ち悟りが深くなっていることなのです。

 深い悟りの境地というのは、神さまの愛が最高に輝いている状態です。思いやりと寛容の心が、呼吸のように自然に循環している状態です。この神さまの愛の循環の中に自分を置く時は、誰もが神さまの愛を感受し、感得し、神さまの愛と一体化し、神さまの愛そのものになるのです。本当の思いやりとは、自分を与え尽くして、自分を無くすことです。自分のしたことも忘れ、過去の自分が消え去っていてこそ、本当の思いやりと言えるのです。少しでも恩着せがましい心が残っていたり、相手に何かを期待し求める心が残っていたとすれば、それは偽物の思いやりの心なのです。

 本当の思いやりの心は、自分のすべてを与え尽くして、謙虚なマイナスの極に立つ心、即ち寛容の心への自然に変化するものなのです。そしてマイナスの極からすべてを光一元に仰ぎ見て、深い感謝の心ですべてから光を吸収して、プラスの極に立つ心、即ち思いやりの心へと自然に戻ってゆくものなのです。

 求道即ち道(真理・悟り・神愛)を求めるに際しても、自分を無くしてゆくことが肝要なのです。いつもでも自分というものが残っていては、利己的な業想念の心に陥って、本当の悟りから遠ざかってゆくことになるものです。小さな自分の幸せの為に道を求めるのでは無くて、最初から他の幸せの為に道を求めて、大きな自分を生きることが、本当の求道なのです。

 世界を平和にし、人類を幸せにする為にのみ、真理を求め・悟りを求め・神愛を求めることが、真(まこと)の求道なのです。それは自然に他への大きな働きかけとなって、真(まこと)の伝道へと変化するものです。自分を無くして、他と一体化することは、即ち真(まこと)の伝道になるのです。真(まこと)の伝道とは、世界を平和にし、人類を幸せにする為の真理を、他と一体化して大きくなった自分自身が実行することなのです。すべてを神さまの現れとして、徹頭徹尾拝み続けることなのです。