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天津神籬信仰と偶像崇拝信仰


 天津神籬(アマツヒモロギ)信仰と偶像崇拝信仰とは、全く正反対のものです。前者は、絶対神の働きを正しく理解する為に、天照大御神の御霊代(ミタマシロ)・御樋代(ミヒシロ)としての天津神籬〔模型〕を活用し、すべての奥に絶対神を正しく把握してゆこうとする信仰です。後者は、ある特定のものを信仰の対象として崇拝し、それを絶対神そのもののように思い違え、絶対神を小さく貶(オト)して観たり、絶対神を全く無視する、無礼千万な信仰です。




 神籬(ひもろぎ)とは、神の宿る所の意であり、往古、神霊が宿っていると考えた山・森・老木などの周囲に、常磐木(ときわぎ)を植え巡らし、玉垣を結って神聖を保ったところであり、後には、室内・庭上に常磐木を立て、これを神の宿る所として神籬と呼んでおり、現在、普通の形式は、下に荒むしろを敷き、八脚案を置き、さらに枠を組んで中央に榊の枝を断て、木綿(楮の皮をはぎ、その繊維を蒸し、水にひたして裂いて糸としたもの)と垂(しで)とを取り付けたものを指している。




 本来、神籬(ひもろぎ)とは、絶対神の御霊代(ミタマシロ)・御樋代(ミヒシロ)のことであり、絶対神の霊・体二系の働きを、具体的に分かり易く表現した模型なのです。御霊代(ミタマシロ)とは、一霊四魂〔奇魂・幸魂・和魂・寝魂〕の霊魂の模型・霊魂の代表です。御樋代(ミヒシロ)とは、一元四体(精体・気体・液体・固体)の元体の模型・元体の代表です。その模型によって、絶対神の働きを正しく理解し、すべてに絶対神の働きを認め、すべての奥に絶対神をしっかりと把握してゆこうとするものなのです。




 天津神籬(アマツヒモロギ)は、天岩戸開きの際の布刀御幣(フトミテグラ)を始めとして、神社や寺院の造りの中に、神事や仏事の作法の中に、お正月の飾りの中に、その他種々様々な姿の中に示されているものです。更に拡大的に見るならば、宇宙のすべてに認められるものなのです。全大宇宙そのものが、絶対神の現れ、即ち模型なのです。従って全大宇宙の中に、地球の中に、人体の中に、細胞の中に、原子の中に、大自然のすべての中に、絶対神の真実・最高の模型を見出すことができるのです。大自然の神秘的な姿の中に、絶対神の働きを、即ち絶対神の全徳の無限の無限の輝きを、しっかりと認めてゆくことが、天津神籬(アマツヒモロギ)信仰の理想なのです。




 絶対神と一つに繋がっているかどうかが、正しい信仰と間違った信仰の分かれ目です。偶像崇拝信仰の間違いは、模型にとらわれて、絶対神を見失っている点です。いかなる聖像(神仏の彫像や絵画等)も、本物とは程遠い模型なのです。それも人工的な模型に過ぎないものです。模型はあくまでも模型として認め、本物をしっかりと把握してゆかなければならないのです。人工の神社や仏壇の中にのみ、神仏が存在するのでは無いのです。人体こそが本来の神の宮(仏壇)であり、絶対神が厳然とその中に在(まし)ますのです。