ありがとうございます 神書 2-29

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感謝一筋の生き方


 感謝一筋の生き方が、本当の幸せを得る為の正しい生き方なのです。




 自分の思い通りになることを願う生き方では、本当の幸せは決して掴めないのです。




 神さまの御心のままにと、すべてを神さまの計らいに任せて、只只感謝一筋に、神さまの愛を感受してゆくことが、真実の幸せに繋がってゆくのです。七難八苦の業想念の苦しみから、自由に解放される為には、先ず自分の思い通りにしたいという、業想念の心を捨てなければならないのです。




 業想念の心(五欲の心・煩悩の心)を自分の心として掴んでいる限りは、七難八苦の苦しみから逃れることは、永遠に不可能なのです。それは焼け火箸をしっかり握りしめながら、火傷の苦痛から逃れようとするようなものだからです。




 神さまが人間に与え続けて下さっている心というのは、本心という神さまの全徳が無限に無限に輝いた心なのです。




 人間だから業想念を持っていても当然なのだと言うのは、大きな間違いです。人間だからこそ、業想念の奴隷になってはいけないのです。人間だからこそ、本心の心を無限に無限に輝かせて生きなければならないのです。




 神さまに愛され・生かされ・護られ・導かれて、今・ここに自分が存在させられているのです。それに気付かないのは、神さまへの感謝を怠ってきたからです。




 神さまへの感謝をしっかりと積み重ねて来たならば、神さまの無限の無限の愛がひしひしと感じられる筈です。神さまを忘れ・無視し・悪く思ってきた長年の想念行為の結果が、本心の心(感謝の心・神さまの愛を感じ取る心)を業想念の心で覆い隠すことになってしまったのです。それは自分自身が業想念の奴隷になって、本心の自分をしっかりと生きなかった為です。安易な・怠惰な心で惰性に流されて、真剣な心で新たに新たに、感謝を深めて生きることを怠った為です。




 人間は完全な自由が与えられているのです。すべての責任は自分自身に在るのです。




 神さまへの感謝は、誰からも強制されることは無いのです。既に与えられている本心の無限の無限の感謝は、自分自身の自由意志で、自由自在に駆使してこそ、神さまの御心に叶うのです。感謝するのも自由なら、感謝しないのも自由です。ただ感謝を深めてゆきさえすれば、その感謝に比例して、幸せは無限に無限に大きくなってゆくのです。




 逆に感謝を忘れ、不平・不満・不足の心になれば、それに比例して、苦しみが無限に無限に大きくなってゆくのです。苦しみというものは、感謝を忘れた間違った生き方に、気付かせる為のものです。




 何故感謝しなければならないのか?あれこれ理屈を並べ立てても、本心の自分を生きることにはならないのです。要は本心の自分(感謝の心)をしっかりと生きることが、感謝行を真剣に実践することが、無限の無限の幸せを感受する為には必要不可欠であるというだけです。