ありがとうございます 神書 2-27

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愛他的な生き方


 利己的な生き方を捨てて、愛他的な生き方になることが、本心の自分を生きることなのです。自己中心的な生き方を捨てて、他を思いやる生き方になることが、本心を輝かせることなのです。小さな個我に執着して、それのみを自分であると思うのは、業想念の心です。大きな宇宙全体と一体の自覚を持って、自由自在に個我の立場に立ち、他の幸せに奉仕するのが本心の心です。人は業想念の心に陥った時に、大きな苦しみを背負うのです。本心の心の立場に戻った時に、大きな幸せを感得するのです。




 悟りを求めて祈りの行をするに当たっても、小さな自分のことばかりを考えていたり、他の祈りの行を助けることを忘れていると、業想念の心に陥ってしまうものです。そうなると本心を輝かすどころか、だんだんと祈りの行がしにくくなってくるのです。




 人は常に自分自身の心を反映した世界に住むことになるのです。他を助けることを怠っていると、他からの助けを受けることができなくなるのです。それはとりもなおさず、全体の・神さまの助けをも受けられない状態に自分を置くことになるのです。自分だけの幸せを追い求める心は、業想念の心です。




 自分の幸せを先ず第一に考えるのは、業想念の心です。業想念の心のままでは、幾ら幸せを追い求めても、追いかければ追いかける程、幸せは遠くへ遠くへ逃げ去ってゆくのです。そして後に残るものは、大きな苦しみだけということになるのです。




 他の短所・欠点を責め裁く業想念の心に陥って、嫌なものから逃げだそうとすればするほど、それはしつこく何処までも追いかけて来るものです。マイナスに見て、それから逃げようとしても、心の中に既に入り込んだマイナスは、そのままでは決して消えることは無いのです。マイナスに見たものを、もう一度プラスに見直すまでは、そのマイナスは心の中から消えることは無いのです。




 自分の心に取り入れたマイナスは、それをプラスのもので打ち消さない限りは、必ず未来に自分自身の運命として現実化するものです。




 高慢な心になって他を蔑視すれば(マイナスに見れば)必ず自分も同じように他から蔑視される(マイナスに見られる)ようになるのです。心に受け入れ・取り入れたものが、運命となって現実化するのが法則であるからです。




 自分だけのことを祈るよりも、みんなの中に自分を含めて、大きく祈るのがより正しい祈り方なのです。




 『みんな悟っている! 無限の無限の素晴らしさで一杯! みんな祈っている!! 無限の無限の感謝で一杯! みんな救われている! 無限の無限の幸せで一杯! みんな神さま! 全徳の無限の無限の輝きで一杯!』このように他を拝むことによって、自分の心の中のマイナスを打ち消すことが、本心の自分を大きく輝かせる生き方なのです。