ありがとうございます 神書 2-24

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神さまの愛の御心


 人は神さまの愛の御心によって、一瞬一瞬新たに新たに、生かされ・愛され・護られ・導かれて、幸せ一杯にしていただいているのです。神さまの愛の御心を信じることさえできたら、感謝一筋の幸せ一杯の生き方ができるのです。ところが本心の自分を忘れると、業想念の心の奴隷に陥って、神さまの愛の御心が信じられなくなるのです。神さまによって生かされているということが判らなくなると、自分だけの小さな力で生きなければと思うのです。




 守護の神霊の加護によって、運命を大きく修正してもらっていながら、自我が強くなってくると、自分の力で善くなっているように錯覚するのです。そして傲慢にも守護の神霊の守りを否定し、拒絶するようになるのです。そうなると過去世から積み重ねて来た業想念を、自分自身で背負わなければならなくなるのです。七難八苦の大きなマイナスの運命を、いつまでも味わい続けなければならなくなるのです。自分自身が他に対して何を与えてきたか、その総決算としての運命を宣告されるのです。




 人は常に自己の信念の投影を、環境に写し出しては、運命として眺めているのです。過去世からの想念感情の集積が、その人自身の信念となって、それが機縁に触れて、運命として現実化しているのです。過去に起こしたマイナスの想念感情は、いずれはマイナスの運命となって必ず現実化するのです。それを軽微なマイナスの運命で済ましてもらう為には、感謝一筋の生き方にならなければならないのです。謙虚に謙虚に感謝し続ける、本心の心に戻らなければならないのです。




 マイナスの運命はすべて、自分自身が神さまをマイナスに見た結果なのです。神さまから与えられたものを、感謝の心で受けなかった結果なのです。神さまを悪者にしてきた結果なのです。神さまに対する不信・不敬の想念が、マイナスの運命の根本原因なのです。




 神さまを正しく信じる心が根本になければ、他の何ものをも信じることはできないのです。神さまへの不動の信を培わなければ、他を本当に信じることは不可能なのです。自分自身がコロコロ変わる業想念の心に陥っては、他を不動のすがたに見ることなど絶対にできないのです。何を信じるにしても、神さまという根本から信じなければ、どんな信も崩れてしまうのです。




 真心から信頼し・尊敬する愛の心でなければ、自分のマイナスの業想念が一寸浮かび出るだけで、他に対するどんな信も簡単に崩壊してしまうのです。他に裏切られたのではなくて、自分自身の他に対する信が崩れた為に、自分が他を裏切ったのです。人は誰でも業想念の心に陥れば、先ず自分自身を裏切り、次には他を裏切ることになるのです。人は誰でも本心の心に戻れば、先ず神さまを信じ、次に自分を信じ、その次に他を信じることができるのです。