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『今』を最高に喜んで生きる


 『今』を最高に喜んで生きるのが、本心の生き方です。マイナス無限大の立場から、プラス無限大を仰ぎ見て、全徳の無限の無限の輝きを感受して、『今』無限の無限の喜び一杯に生きるのが、本心の生き方です。




 『今』の一瞬一瞬を、『今』の一瞬だけを、大事に大事に生き切ることが、本心の生き方です。




 すべてを神さまの御心のままにと、無我随順して生きるのが、本心の生き方です。




 与えられるすべてに対して、無限の無限の価値を見出して、感謝一筋に生きるのが、本心の生き方です。本心こそが真実の自分です。




 神さまがすべてを平等に与えているというのは、本心の人間に対してなのです。




 本心の人間はお互いに皆、神さまの前においては平等なのです。神さまは決して依怙贔屓(エコヒイキ)などしていないのです。神さまはすべての本心の人間に対して、平等に愛し・生かし・幸せを与え続けているのです。




 神さまは本心の人間のすべてが、常に無限の無限の幸せ一杯であることを保証しているのです。だから人間は常に本心の自分を生きていなければならないのです。決して本心の自分を忘れてはならないのです。




 本心の人間は、常に常に無限の無限の幸せで一杯なのです。既に既に無限の無限の喜びで一杯なのです。真実の幸せを・最高の幸せを、しっかりと実感し続けているのが、本心の自分なのです。




 一切の不幸・苦しみの根本原因は、本心の自分を知らないこと、無知にあるのです。本心の自分を忘れていること、本心の自覚の欠乏にあるのです。




 本心の自分を忘れたままの状態では、どんなに自分は幸せだと強がっても、その幸せは決して本当の幸せでは無いのです。業想念の心では、どれほど五欲(財産欲・名誉欲・色欲・食欲・睡眠欲)を満足させようとも、いずれは七難八苦の苦しみに変化するのです。だから真実の幸せでは無いのです。




 本心の自分を忘れたままでは、決して真実の幸せ・無限の無限の幸せを味わうことはできないのです。本心の自分を見失い、本心の自分を生きることを忘れたところから、業想念(五欲)の奴隷に陥り、七難八苦を味わうようになったのです。




 現実に執着し、過去を掴んで離さない心が、業想念の心です。業想念という闇の心に陥らない為には、本心という光の心を、常に灯さなければならないのです。七難八苦の業想念の心から自由に解放される為には、常楽我浄の本心の心をしっかりと自覚しなければならないのです。




 自分自身が本心であることを、しっかりと自覚しさえすれば良いのです。




 自分の不幸を他人の所為にして、他人を責め裁く業想念の心に陥っている限りは、地獄に転落して永遠に苦しみ続けなければならないものです。




 『新たなる今』を『感謝一筋』に生きる自分こそが、無限の無限の幸せで一杯!の本当の自分なのです。