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正しい信仰


 正しい信仰とは、宇宙絶対神への絶対帰一・絶対随順・絶対奉仕の道です。即ち宇宙絶対神への至忠・至孝・至悌の道です。神ながらの道・全託の道・空の道です。




 偽我(業想念の心・五欲の心・煩悩の心)を捨て切って、真我(神性・仏性・霊性・神の子・仏の子・いのち・本心)を生き切る道です。




 一瞬一瞬新たに新たに、偽我を否定して、真我を肯定して生きる道です。偽我には常に七難八苦が影のように付き纏うのです。




 真我には常に常楽我浄の祝福の光が燦々と降り注ぐのです。




 人は常に『真実の自分とは何か』をしっかりと見定めなければならないのです。そして真我と偽我の区別をつけて、真我のみを選び続けなければならないのです。




 神さまが与え続けて下さっている無限の無限の幸せとは、真我に対してのみ与え続けられているものです。だから偽我の心のままでは、幾ら幸せを追い求めても、小さな一時的の自己満足はあっても、大きな無限の無限の幸せを感受することは、永遠に不可能なのです。




 真実の無限の無限の幸せになる秘訣は、偽我を捨てて、真我に戻ることなのです。業想念の心を消し去ってもらって、本心の心を引き出してもらうことなのです。




 間違った信仰のままでは、いかに熱心に・長年続けようとも、真実の幸せを得ることは絶対に不可能なのです。一日も早く、正しい信仰に戻らなければならないのです。




 間違った信仰の最たるものは、業想念の心のままで、神さまをうまく利用して、御利益を手に入れようとする生き方です。僅かなお賽銭を上げて、大きな御利益を手に入れようとする浅ましい乞食信仰です。




 しなしながら業想念の心のままでは、神さまの御心と波長が合わないから、神さまを利用することも、神さまの助けを受けることも、本当はできないものなのです。




 うまく利用できたと思っていても、実際は神さまの無償の愛の助けを受けたのでは無く、サラ金のように大きな利息を付けて返さなければならない業想念の助けであるかも知れないのです。




 病気が治った・お金が儲かった・等々のこの世的な御利益があったからと言って、浮かれていては間違った信仰に陥るのです。自分の持っている業想念をどれだけ多く消してもらえたか、本心の感謝の心をどれだけ多く引き出してもらえたか、ことことが本当に神さまの助けをうけたかどうかのバロメーターなのです。




 神さまの本当の助けを受けるということは、何でも自分の思い通りにしようとする、高慢な我の心を叩き潰してもらうことなのです。又すべてを神さまの御心のままにと、感謝一筋に受けられる謙虚で素直な本心の自分に戻してもらうことなのです。




 偽我の自分の思い通りになって喜んでいるのは、業想念の心です。偽我の自分の思い通りにならないのを、反対に大きく感謝し喜べる心が、本心の本当の自分なのです。