ありがとうございます 神書 2-19

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報い求めず与え尽くす心


 報い求めず与え尽くす心であれば、いつ・どこにあっても、神さまの助けを大きく受けることができるのです。




 報い求めず与え尽くす心は、本心の心そのものです。だから神さまの御心と波長が合って、神さまの助けを大きく受けられるのです。また『与えたものが与え返される』という法則から見ても、他に対して報い求めず与えたものは、必ずやどこかから報い求めず与え返されるものなのです。




 神さまは宇宙全体です。宇宙のどの部分に対して与えても、神さまに与えたことになるので、神さまが報い求めず与え返して下さるのです。




 人は他を量る同じ秤で、自分自身をも量るものです。同じ原理を自他共に当てはめて見るものです。




 報い求めず与え尽くす者は、報い求めず与え返して下さる神さまの助けを、素直に何の遠慮も無く、大きく受け入れることができるのです。ところが利害損失を考え、計算付くのお返しを求める心の者は、自分が他に対して与えた分だけしか受け取ることができないのです。




 その人の持つ心の秤(信念)が、その人の運命のすべてを、決定することになるからです。幾ら神さまが無償の愛の助けを与えようとしても、その人の潜在意識(信念)が頑固に拒絶して、受け入れようとしないのです。計算に合わないものは、どうしても受け取ることができないように、その人の潜在意識(信念)が計らうからなのです。




 例えば神社にお参りしても、僅かなお賽銭と引換えに、大きな御利益を求める心では、自分の与えたお賽銭と同価値の、小さなお蔭しか受け取ることはできないものです。反対に求める心を一切捨てて、感謝の心と与える心でお参りすれば、求めるに先立って既に与えられている神さまの助けに気付いて、その助けを大きく受け取ることができるものなのです。




 神さまの助けを大きく受けられる自分になる為には、常に『報い求めず与え尽くす』生き方を、実践し続けることが大切なのです。




 仏教の六波羅蜜(悟りへの実践道)の一つである、布施行(財施・法施・無畏施)がこれに相当するものです。




 布施とは、自分にとって必要な・大切なものを、一切の報いを求めることなく、惜しげもなく、喜んで・感謝の心で、与え尽くすことなのです。




 自分にとって不必要な・余分なものを与えるのは、布施では無いのです。また何かの返礼を求める心では、幾ら与えても布施にはならないのです。




 純粋な感謝一筋の心で与え尽くすのが、正しい布施行なのです。




 どんな布施行も、神さまによって『させていただいている』という、感謝の心で受け直す布施行が本物なのです。




 正しい布施の心は、神さまの助けを無限に無限に大きく受け入れてゆけるのです。だからこそ宇宙絶対神の全徳の無限の無限の輝きを感受できるようになって、真実の悟りが開けるのです。