ありがとうございます 神書 2-18

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すべてがプラスに見える時


 何事もプラスに見える時に、感謝の心は自然に湧き上がって来るのです。




 表現(相対)の世界は比較の世界ですから、自分の今立っている立場がどこであるかによって、同じものがプラスに見えたり、マイナスに見えたりするのです。




 全大宇宙のすべてのすべてがプラスに見える時には、常に無限の無限の感謝が自然に湧き上がって来るのです。その状態が本心の心の本来のすがたなのです。




 本心の心が常に感謝三昧の状態にあるのは、本心は自由自在にその立場を移して、すべてをプラスに見ることができるからです。




 本来人間の持っている心というのは、その自由自在な本心の心なのです。




 過去を掴み、物事に執着する業想念の心というのは、自由自在の本心の心の、一変態の姿に過ぎないのです。本心の心の状態では無いのです。




 本心の心というものは、常に無限に無限に自由自在でなければならないのです。




  業想念の心に陥った状態というのは、我を忘れた状態・本心の自分を忘れた状態・本心の心の自由自在を発揮していない状態に過ぎないのです。あくまでも本心の心の一変態(一風変わった状態)でしか無いのです。




 すべてがプラスに見える立場というのは、一番下の立場です。相対の〇(零)では無くて、絶対○(零)です。相対の○から見た時のマイナス無限大、即ち絶対の0が表現の世界(相対の世界)の一番下になるのです。




 マイナス無限大の立場(ブラックホール的な闇・地獄のどん底・煩悩熾盛)から見れば、すべてがプラスの状態(大光明・極楽・本心・等々)に見えてくるから不思議です。




 暗い方から明るい方を見る時は、何事もはっきりと浮かび上がって見えてくるのです。今まで見えなかったものが、明らかになって見えてくるのです。すべてを達観できるようになってくるのです。




 全大宇宙のすべてのすべてを、明らかに見ることのできる立場・達観できる立場・プラスに見ることのできる立場というのは、この絶対の○(零)の立場の他には無いのです。即ち謙虚な、どこまでも謙虚な立場です。




 感謝を忘れ、感謝し難い状態に陥っている時というのは、心の自由を失い、一つの立場に執着し・囚われて、物事をマイナスに見ている時です。プラスの善い状態が続くと、心はそれに執着し・囚われて、離せなくなるものです。そうなると物事を見る立場が、プラスの高い立場になる為に、プラスよりもマイナスに見えるものが多くなってくるのです。




 どんなプラスの立場も、これが自分だ・これが自分の物だと掴んでいると、高慢な虚栄心(自分のものでは無いのに、自分のものと思うのは、虚の栄えです)に陥って、感謝できなくなるのです。