ありがとうございます 神書 2-12  無限の無限の喜びが無限に無限に一杯!

神書目次へ

業想念の心の奴隷に陥らないこと


 本心の心と業想念の心とは、一切が正反対なのです。本心の心には正しいと思えることが、業想念の心には間違いに思えるのです。逆に業想念の心には正しいと思えることが、本心の心には間違いに思えるのです。また本心の心には無限の価値あるものと思えるものが、業想念の心には無価値に思えるのです。




正邪の判断も、価値の判断も、その他一切が正反対なのです。だから本心の心と業想念の心とは、理解し合うことも、一致点を見出すこともできないものです。本心の心は本心の心とのみ、理解し合えて、一致点を見出すことができるのです。業想念の心は業想念の心とのみ、理解し合えて、一致点を見出すことができるのです。




 人は本心の心に戻って生きる時に、幸せの正しい道を歩んでいるのです。業想念の心の奴隷に陥っている時は、不幸せの間違った道を歩んでいるのです。本心の心に対しては必ず、正しい導き・援助等が与えられるものです。業想念の心に対しては、間違った甘い誘惑や、一時的な見せかけの援助が集まってくるものです。本心の心をしっかりと生きていれば、必ず幸せは大きくなってくるのです。




 業想念の心の奴隷に陥っていたら、必ず苦しみが大きくなってくるのです。それは天の法則が厳然と働いているからです。




 何者も天の法則の外へ出ることはできないのです。『天網恢恢疎にして漏らさず』です。人は自分自身が本心の心をしっかりと生きれば良いのです。そうすれば天の助けは自然に与えられるのです。業想念の心の奴隷に陥った人と、言い争ったり、干渉し合う必要は全く無いのです。業想念の心の奴隷に陥った人に対しては、天の法則(神さまの愛)がその間違いに気付かせて下さるのです。




 決して業想念の心の奴隷に陥ってはならないのです。執着心の奴隷になるな!虚栄心の奴隷になるな!必要以上に求めてはならない、必要以上に所有してはならない、決して贅沢をしてはならないのです。財産欲に駆られて、あくせく働いても、決して本当の幸せにはなれないのです。自分名義の財産が幾らあっても、決して本当の幸せにはなれないのです。豪邸に住み、きらびやかに着飾っても、決して本当の幸せにはなれないのです。




 宇宙には必要十分なものが、既に豊かに備わっているのです。みんなが必要十分なもので満足すれば、不足する人は一人も無いのです。必要以上に貪る者は、他人の持ち分を奪っているのです。すべては神さまからの預かり物です。




 自分勝手に使ってよいものは、何一つとして存在しないのです。みんなが幸せになるように、生かして使うように、ただその管理を任されているだけなのです。貪りの心は、三毒(貪瞋痴)の一番手です。