ありがとうございます 神書 2-11  無限の無限の喜びが無限に無限に一杯!

神書目次へ

本当の豊かさ


 物質的豊かさのみを追い求めていては、真実の幸せを掴むことはできないのです。精神的にも霊的にも、本当の豊かさが備わらなければ、真実の幸せを掴んだことにはならないのです。物質的に贅沢三昧の状態になれても、それが執着心と虚栄心の業想念の心を満足させているだけであれば、真実の幸せとは程遠いものです。反対に大きな苦しみの原因を積み重ねているようなものです。




 何故かと言えば、物質欲というものは、どんどんエスカレートしてゆくものであって、執着心と虚栄心の業想念の心が大きく膨らんで、本心の心を覆い隠してしまうからです。本心の心を覆い隠されてしまっては、業想念の七難八苦の心で一杯になり、精神的な幸せも霊的な幸せも、全く〇になってしまうのです。




 真実の幸せとは、先ず霊的な幸せをしっかりと捉えて、それを精神的に物質的に反映させた状態です。本心の心で神さまの愛をしっかりと感受して、宇宙のすべてを神さまの愛の現れと拝める状態です。神さまの愛を、霊的な幸せをしっかりと捉える為には、先ずこの世への執着を捨てることから始めなければならないのです。




 無所有無所得の無一物の境地に、先ず立とうとしなければならないのです。神さまの愛を直接に感じ取れるようになるまでは、少なくとも清貧に甘んじて生きようとする覚悟が必要なのです。求める業想念の心を捨て切って、与えられるままに感謝一筋に受けきってゆこうとする心の姿勢が必要なのです。自分の物をしっかりと握ったままでは、幾ら神さまの愛を直接感じようとしても、それは無理な相談です。ちょうど靴の上から足を掻いて、足の痒みを取ろうとしているのと同じようなものだからです。




 無一物の境地に立とうとするのを邪魔しているのが、執着心と虚栄心という二つの大きな業想念の心です。この業想念の心を消し去ってもらう為には、祈りに祈って、神さまの助けを大きく受けなければならないのです。しかしこの業想念の心が大きいと、祈りたくても祈れないのです。その場合には、祈れている人に対して、自分にできる何らかの手助けをすると効果的です。与えたら与え返されるのが法則です。




 与える心を起こすことによって、神さまの助けも受け易くなるのです。その祈り人を通して、業想念を消し去る大きな光の助けを受け、祈り易くしてもらえるのです。




 また大病の後に心が澄み清められたり、台風一過後に晴れ渡るように、七難八苦を覚悟の上で、心の中の業想念をこの世へ押し出して、大きく消し去ってもらうことも、早く祈れる自分になる為には必要なのです。




 執着心と虚栄心を一日も早く消し去ってもらうことが、真実の幸せの第一歩なのです。神さまの本当の助けを受けるということは、業想念の心を満足させることでは無く、叩き潰してもらうことなのです。