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               第一章 無限の無限の幸せが一杯!

宇宙の大神さまの絶対の愛の表現

 全大宇宙の生きとし生けるもの、有りとしあらゆるもの、すべてのすべてなるものは、宇宙の大神さまの絶対の愛の表現です。無限の無限の愛の大光明は、全大宇宙に満ち渡って、愛一元の表現をとっているのです。人間は神さまの最愛の愛し児として、しっかりとその愛の御手に抱かれ、至慈・至愛を受けているのです。ただその真実に対して、どの程度まで気付き、感謝し、喜べるかは、一人一人の本心の、自覚の深さに比例するのです。

 神さまの愛を感じとれる心は、業想念の心ではなく、本心の心なのです。本心の目覚めが無いと、神さまの愛を感じ取ることはできないのです。乳飲み子が母親にしっかりと抱かれ、愛されているにもかかわらず、悪夢を見ていたら、母親の愛に気付かないのと同じことなのです。本心に目覚めよ!本心を呼び覚ませ!本心の自分をしっかりと生きよ!そのときに神さまの愛がひしひしと感じられてくるのです。

 本心とは感謝する心です。感謝すればするほど、本心は呼び覚まされて、本心の自覚は深められてゆくのです。感謝するということは、本心の自分をしっかりと生きることになるのです。感謝とは、神さまの愛の働きを感受することであり、無限の無限の大光明の放射を感受することです。だから本心は感謝する度に、神さまの光を受けて、その輝きを増してゆくのです。本心はその輝きを増せば増すほど、より大きな光を、受けることができるようになってゆくのです。感謝はどこどこまでも、無限に大きく、無限に深く、無限に密度の濃いものになってゆくのです。

 花を見て、“ああ 美しいなあ!”と感動するのは、無限の無限の美の大光明の、一筋の光の流れを感じたのです。小鳥の姿を見て、“ああ 楽しそうだな!”と感ずるのは、無限の無限の楽しさの大光明の、一筋の光の流れを受けたのです。幼子の無心の笑顔を見て、そこに幸せを見出せるとしたら、それは無限の無限の幸せの大光明の、一筋の光の流れを感じ取ったのです。神さまの全徳はそれぞれに、無限の無限の大光明となって、全大宇宙に満ち満ち、輝き渡っているのです。そしてその全徳の光の流れが、お互いに美妙に組み合わさって、美しい光彩を放っているのです。

 神さまの全徳の光の放射を感受できるのは、神さまの全徳を継承している本心の自分です。本心の自分だけが、神さまに心の波長を合わせることができるのです。本心の自分をしっかりと自覚し、神さまに心の波長を合わせることによって、いつ・どこに在っても、無限の無限の幸せで一杯!という生き方ができるのです。地獄のどん底のすがたにも、自分の無限の業を振替て、助けて下さっている、神さまの愛の働きとして感受することができれば、無限の無限の感謝と喜びが、自然に湧き上がってくるのです。