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本心に戻る為には、逆境も必要


 人は順境に慣れると、いつしか感謝を忘れ、不平・不満・不足の心を起こしがちです。だからこそ感謝の心・本心に戻る為には、逆境も必要なのです。善いもの(プラス)が何も無かったら、真っ暗闇の宇宙空間に、ポツンと只一人存在しているとしたら、どんな気持ちになるでしょうか?また悪いもの(マイナス)が一杯の中に置かれたら、どうでしょうか?一瞬たりとも耐えがたい気持ちになるに違いないのです。




 どんな人間も過去世に、本心の自分を忘れて、感謝することを怠り、不平・不満・不足の業想念の心を無限に積み重ねて来ているものです。その結果、地獄のどん底で永遠に苦しみ続けても、それは自業自得であって、文句一つ言えない立場にあるのです。それにもかかわらず、今自分の置かれている環境は、地獄のどん底とは比較にならない、素晴らしい善き環境に恵まれているのです。一体どうしてなのか?その理由を考えてみたことがあるでしょうか?もしその理由も判らず、感謝の心も起こせないようなら、逆境に置かれる方が幸せです。早く気付いて、感謝の心を起こせるようになるからです。




 それは宇宙の大神さまから派遣されてくる、愛の天使(守護の神霊)が、守りに護って下さっているからです。無限の愛の天使(守護の神霊)が、私達の身代わりとなって、大きな業想念を背負って、その苦しみを肩替わりして下さっているからです。




 因縁因果の法則を破ることは、誰にもできないのです。殺せば殺されるのです!目には目を!歯には歯を!なのです。誰かが自分の身代わりに、その業苦を背負って、犠牲になってくれなければ、すべてその苦しみは自分に報いられるのです。もし誰も助けてくれなかったら、無間地獄に落ちて苦しんでいるはずです。 




 この世のどんな苦痛も、地獄の苦痛と比較すれば、万分の一以下の軽いものです。だからこの世でどんな苦痛を味わっていても、万分の一以下に軽減された軽い苦痛です。




 自分一人が誰よりも苦しんでいるように思って、当たり散らすのは大きな間違いです。自分の魂の浄めのために、どれほど多くの犠牲の愛の助けを受けているか、計り知れないものがあるのです。だからどんな苦痛も、自分自身を立派に磨き上げる為に、深い感謝の心で受けて、喜んで耐えなければならないものです。苦痛から逃げていては、魂は清まらないのです。




 順境に置かれている時にこそ、今与えられている善きもの(プラス)に対して、どんな小さなものに対しても、深い深い感謝を捧げることが大切です。




 一瞬たりとも感謝を忘れたら、それは瞬時にして消えて無くなっても、文句は言えないものばかりなのです。不平・不満・不足の心を起こす暇の無い位に、感謝し、喜び続けてこそ、順境に置かれても、本心(感謝の心)開発の道を歩むことができるのです。

 





人は順境に慣れると、いつしか感謝を忘れ、不平・不満・不足の心を起こしがちです。だからこそ感謝の心・本心に戻る為には、逆境も必要なのです。善いもの(プラス)が何も無かったら、真っ暗闇の宇宙空間に、ポツンと只一人存在しているとしたら、どんな気持ちになるでしょうか? また悪いもの(マイナス)が一杯の中に置かれたら、どうでしょうか? 一瞬たりとも耐えがたい気持ちになるに違いないのです。どんな人間も過去世に、本心の自分を忘れて、感謝することを怠り、不平・不満・不足の業想念の心を、無限に積み重ねて来ているものです。その結果、地獄のどん底で永遠に苦しみ続けても、それは自業自得であって、文句一つ言えない立場にあるのです。それにもかかわらず、今自分の置かれている環境は、地獄のどん底とは比較にならない、素晴らしい善き環境に恵まれているのです。一体どうしてなのか? その理由を考えてみたことがあるでしょうか? もしその理由も判らず、感謝の心も起こせないようなら、逆境に置かれる方が幸せです。早く気付いて、感謝の心を起こせるようになるからです。

 それは宇宙の大神さまから派遣されてくる、愛の天使(守護の神霊)が、守りに護って下さっているからです。無限の愛の天使(守護の神霊)が、私達の身代わりとなって、大きな業想念を背負って、その苦しみを肩替わりして下さっているからです。因縁因果の法則を破ることは、誰にもできないのです。殺せば殺されるのです! 目には目を! 歯には歯を!なのです。誰かが自分の身代わりに、その業苦を背負って、犠牲になってくれなければ、すべてその苦しみは自分に報いられるのです。もし誰も助けてくれなかったら、無間地獄に落ちて苦しんでいるはずです。この世のどんな苦痛も、地獄の苦痛と比較すれば、万分の一以下の軽いものです。だからこの世でどんな苦痛を味わっていても、万分の一以下に軽減された軽い苦痛です。自分一人が誰よりも苦しんでいるように思って、当たり散らすのは大きな間違いです。自分の魂の浄めのために、どれほど多くの犠牲の愛の助けを受けているか、計り知れないものがあるのです。だからどんな苦痛も、自分自身を立派に磨き上げる為に、深い感謝の心で受けて、喜んで耐えなければならないものです。苦痛から逃げていては、魂は浄まらないのです。

 順境に置かれている時にこそ、今与えられている善きもの(プラス)に対して、どんな小さなものに対しても、深い深い感謝を捧げることが大切です。一瞬たりとも感謝を忘れたら、それは瞬時にして消えて無くなっても、文句は言えないものばかりなのです。不平・不満・不足の心を起こす暇の無い位に、感謝し・喜び続けてこそ、順境に置かれても、本心(感謝の心)開発の道を歩むことができるのです。