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本心の心はいつも自由自在


 本心の心はいつも自由自在なのです。本心の心は神通自在なので、何者もその自由を縛ることはできないのです。もし何かに縛られていると感じるならば、その時は本心の心を忘れて、業想念の心に陥っているのです。光を追いかけて、捕まえることはできないのです。大魚をたもで捕らえることはできないのです。無限のスピードと無限のパワーを持っている本心の自分を縛れるものは、何一つとして存在しないのです。この世的な縛りも、本心の自分を縛ることはできないのです。




 本心の自分は、十の仕事を強いられたら、二十の仕事をするのです。上着を奪われたら、下着も脱いで与えるのです。だから何者も本心の自分を縛ることはできないのです。本心の自分は、どんな環境でも、一瞬に消せるのです。本心の自分は、どんな環境でも、新たに創れるのです。本心の自分はどんな環境の中でも、自由自在に活躍できるのです。本心の力を発揮すれば、不可能は無いのです。本心の自分を忘れ、本心の力を発揮するのを怠るから、何をしてもスピードとパワーの不足した状態に陥るのです。その時に周りの環境に縛られているように錯覚するのです。




 本心の自分を縛るものは、何も無いのです。何者も自分を縛ってはいないのです。自分が勝手に、縛られている、と錯覚しているだけです。錯覚し続けているだけなのです。鶏を強く抱き締めて、地面に寝かせ、周りに白墨で線を引くと、鶏は縛られているものと錯覚して、じっと動かないでいるのです。これと同じように、すべての縛りは、自分自身の思いの縛りなのです。縛られているという思いが、自分を縛っているのです。本心の心は自由な心です。




 業想念の心は縛りの心です。本心の心を忘れると、業想念の心・縛りの心に陥るのです。本心の心をしっかりと生きていたら、不可能を可能にし、高い目標を達成し、自由を満喫できるのです。




 過去世からの自分の思いに、いつまでも縛られているのは、愚の骨頂です。本心の自分は、今を新たに、自由自在に生きることができるのです。過去世からの業想念・自己限定の思い・どんな縛りも、本心の無限力を発揮して、吹っ飛ばしてしまえばよいのです。業想念の心を自分の心として、いつまでも掴んでいないで、本心の心の立場に立てば良いのです。




 本心の心を自分の心として、しっかりと生きることです。




 祈り言葉を駆使して、本心の無限力を引き出すことです。何事に対しても、全力を出し尽くすことです。他に頼る甘えの心を捨てて、他を幸せにする為に、与えて与えて与え尽くすことです。そうすれば本心の心が完全燃焼して、大きく輝くのです。全徳の無限の無限の輝きで一杯!の自分になる為に、いつも限界破りに挑戦するのです。困難に戯れるのです。大きな目的・目標を掲げて、前進するのです。