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マイナスの言葉を不用意に使うと不幸に陥る


 “マイナスの言葉”を使うということは、天に唾するのと同じです。そのマイナスは、すべて自分自身に降りかかってくるのです。天(神さま)は一瞬一瞬新たに、無限の無限の幸せを与え続けて、その幸せをプラスの言葉を駆使して受けてくれるのを、忍耐強く待っているだけです。人間が不幸に陥る原因は、マイナスの言葉を不用意に使うからなのです。自分の発したマイナスの言葉を、自分が受け止めて、それに心が囚われて、幸せを受け損なっているだけなのです。




 マイナスの言葉で、神さまの愛を悪者にして、折角の無限の無限の幸せのプレゼントを、頑固に拒絶し、自分勝手に不幸に陥っているのです。




 幸せを受ける為には、プラスの言葉を使わなければならないのです。反対に不幸せになりたいのであれば、マイナスの言葉を多く使えばよいのです。人間には完全は自由が与えられていて、そのどちらでも選べるのです。




 自由が与えられているということは、その自由な行為の全責任は、自分自身にあるということです。




 プラスの言葉とマイナスの言葉のどちらを選んで使うかは、自分の自由意志によって決定されるのです。




 環境に影響されて、言葉の使い方が変わるにしても、それは自分自身の問題なのです。環境の所為にすることはできないのです。どのような環境に置かれていても、プラスの言葉だけを使うこともできるのです。またマイナスの言葉だけを使うこともできるのです。




 鏡に自分の姿を写して、その写った姿に影響されて、自分が変化するとしたら、真理を知らない愚かさの結果です。肉片を加えた犬が、水面に写った自分の姿を見て、その肉片も手に入れようとして、ワンと口を開いたら、今くわえていた肉片を水中に落としてしまったという物語のように、現実の人間が行うとすれば、笑い話にもならない愚かさです。こんなことは誰にでも判っているのです。ところが『環境がその人の心を写す鏡』であることに気付かない人は、同じような愚かな過ちを犯してしまうものなのです。




 自分が過去にマイナスの言葉を多く使っていれば、自分の心にはマイナスの言葉が沢山蓄積されていて、心はマイナスの多い状態です。その心を環境(鏡)に写し出せば、マイナスの多い姿となって見えるのは当然です。反対にプラスの言葉を多く使っていれば、心はプラスの多い状態で、環境にも多くのプラスの姿が見られる筈です。環境は自分の心を写す鏡です。




 環境をプラスに変える為には、先ずプラスの言葉を駆使して、自分自身の心をプラスの状態に変えることが先決なのです。しかし環境が善くなって喜んでいるだけでは、お蔭信仰の域を出ないものです。本当の信仰は、神さまが与えてくださっている真実の現象(姿)・全徳の無限の無限の輝きをしっかりと掴むことです。