ありがとうございます 神書 1-47

神書目次へ


『与える心』『捧げる心』『尽くす心』


 『与える心』『捧げる心』『尽くす心』を起こすということが、神さまの祝福を大きく受ける秘訣です。何故なら、神さまの御心とは、与える心・捧げる心・尽くす心そのものです。それに心の波長を合わせることによって、神さまのすべてを受けることができるからです。




 神さまは全大宇宙のすべてのすべてです。そのどの部分に対して、与える心・捧げる心・尽くす心を起こしても、神さまに対して、与える心・捧げる心・尽くす心を起こしたのと同じです。神さまの祝福は必ず、大きく降り注がれてくるのです。




 与える心・捧げる心・尽くす心は、本心の心です。本心の心は、神さまの祝福を、“素直に・喜んで”大きく受けることができるのです。またその与える心・捧げる心・尽くす心は、どんなに小さいものであっても、その心は神さまの祝福を受ける資格を持っているのです。だから大きく大きく受けてゆかなければならないのです。




 与えるものが少ないから、大きく受ける資格が無いなどと思うのは、業想念の心に惑わされた結果です。決して決して神さまの愛の御心を無視し、拒絶することがあってはならないのです。




 本心の心は常に、明るいものと波長が合って、明るいものを引き寄せ・明るいものに引き寄せられるのが本性です。




 業想念の心は常に、暗いものに波長が合って、暗いものを引き寄せ、暗いものに引き寄せられるのが本性です。




 『今』自分自身が、本心の心を自覚するか、業想念の心の奴隷となるか、一瞬一瞬の選択が、幸・不幸を決定することになるのです。本心の心の自覚を深める為には、常にプラスの言葉を使うことです。マイナスの言葉を使えば使うほど、業想念の奴隷になってゆくのです。




 自分自身を『無限の無限の愛で一杯!』と常にプラスに思い続けることは、本心の与える心・捧げる心・尽くす心を、自然に呼び起こすことになるのです。そしてその愛の心を捧げる対象を見出して、心の交流・愛の交流・光の交流が行われ、一体感(悟り)が深められてゆくのです。




 愛するということは、相手のすべてを自分の中に摂取することです。“与え尽くす”純粋な愛の心であれば、愛する対象がどんなに業想念で汚れていても、その愛の光で洗い清めることができるのです。




 しかし自分に“求める”業想念の心が残っているならば、業想念の少ないものを、愛する対象に選ぶのが良いのです。




 お互いの心が交流され、業想念と業想念が交流されたら、業想念の心に惑わされて、愛したくても愛せなくなってしまうからです。だから先ず一番に、神さまを愛することから始めるのが良いのです。神さまは無限の無限の愛の持ち主です。




 神さまの為に、与え・捧げ・尽くすことによって、神さまの無限の無限の愛を受けることができるからです。そして次に神さまを愛するように、周りの人を愛してゆけば良いのです。