ありがとうございます 神書 1-39

神書目次へ

絶対の愛(至慈至愛)の宇宙の大神さま


 絶対の愛(至慈至愛)の宇宙の大神さまは、一人残らず全員に、無限の無限の幸せを与え続けて下さっているのです。だから今の一瞬一瞬に、神さまに心を向けて、神さまからの無限の無限の幸せを受けてゆきさえすれば、その幸せは他から横取りして奪ったものでは無く、神さまから直接頂いたものであり、他から決して奪われることの無い幸せなのです。




 一人一人の幸せの程度は、その人が神さまからどれだけの幸せを受け取ったか、という結果を示しているに過ぎないのです。常に神さまに心を向けて、感謝を深めてゆくならば、その人の幸せは無限に大きく無限に深くなってゆくものです。反対に神さまを忘れ、感謝を怠っていると、その人の幸せはどんどん小さく浅くなってゆくものです。




 幸せはその人の、『心の向け方・心の持ち方』によって決まるのです。何時何処にあっても、「無限の無限の幸せで一杯!」というのでなければ、まだ神さまの御心に適った正しい生き方になっていないのです。




 自分の不幸の原因が、他人・環境・運命・業想念等にあるのだと思っているならば、それは大きな間違いです。




 幸せの与え主である神さまに、心を向けていないということが、一切の不幸の根本原因なのです。




 いつまでも過去の出来事に囚われたり、小さな物事に執着しているのは、神さまに心を向けるのを忘れている、ということを端的に示しているのです。




 『神さま、ありがとうございます』と一心に唱えて、感謝三昧になった心が、神さまを直接感じ取れる本心の心なのです。




 「宇宙のすべては、神さまの愛の現れ!」と実感する為には、すべての背後に、神さまの無限の無限の愛の大光明を、感じ取らなければならないのです。




 神さまの愛の大光明を感じることさえできれば、地獄のどん底の姿をも、神さまの愛の御姿と拝んで、深い感謝の心で受けることができるのです。




 しかし想念感情の浅い心、五感六感の感覚では、神さまの愛の大光明を感じ取ることはできないのです。心を鎮めて、心を深く掘り下げてこそ、心の奥の奥に実在している神さまを感じ取れるようになってくるのです。真剣な心・敬虔な心・謙虚な心・素直な心・明るい心・楽天的な心・ひたむきな心・感謝の心・喜びの心…が神さまを直観できる心なのです。




 神さまが幸せの本体・幸せの本源なのですから、神さまに近づけば近づく程、神さまに融け入れば融け入る程、無限に大きな・無限に深い幸せを受け取ることができるのです。反対に神さまから遠ざかれば遠ざかる程、神さまと自分を切り離せば、切り離す程、幸せは小さく浅いものになって消滅してゆくのです。神さまの近づく為には、神さまと一体化する為には、いつもいつも神さまのことを思い続けなければならないのです。神さまのことだけを思い詰める程でなければならないのです。