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思い通りにならない時に生じる苦しみ


 すべての苦しみ(四苦八苦)は、自分の思い通り(願い通り)にならない時に生じているのです。何でも自分の思い通りにしようとするから、思い通りにならない現実に遭遇して苦しむのです。




 生苦・老苦・病苦・死苦・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦のいずれもが、自分の思い(願い)の叶えられない苦しみです。それでは木や石のように、心を捨てて何も思わなかったら、何も願わなかったら、果たしてそれで良いのでしょうか?




 心に何も思わない、願わないということがもし可能であるとして、苦しみから逃れることだけが目的であれば、それはそれで良いのかもしれません。五欲(業想念)の奴隷となって求め願っても、その願いが叶えられなかったら、その落差が大きければ大きいほど、苦しみを大きくなるわけです。それならば最初から五欲を断絶して、その落差を小さくする方が、苦しみも小さくなるわけです。




 苦行に耐えて、燃え盛る煩悩に打ち勝とうとするのは、大きい心の苦しみをより小さくしてゆこうとする、一つの生き方でもあるわけです。しかしこの生き方では苦しみが小さくなっても、心に本当の楽(無限の無限の喜び)を、感じ取ることはできないのです。




 本当の大楽(無限の無限の喜び)を感得する為には、宇宙絶対神の絶対の愛を信じ、その至慈至愛の表現を、無限の無限の深い感謝の心で、受け止めてゆかなければならないのです。執着の求める心では、本当の幸せを掴むことはできないのです。また五欲といくら戦っても、真実の幸せは得られないのです。それでは一体どうすればよいのでしょうか?




 五欲(業想念・煩悩)の心を相手にしないことです。その為には本心の心を、常にしっかりと生きるようにすることなのです。本心の心は誰の心の中にも、厳然と存在しているのです。だから自分自身が、本心こそが本当の自分なのだと、先ず気付くことが大切なのです。




 本心の自分は、常に常に神さまだけを相手にしているのです。宇宙絶対神を信じ切っているのです。神さまの他には、何者をも認めないのです。神さまは絶対の愛である!と確信しているのです。だから全大宇宙のすべてを、神さまの愛の表現として感受できるのです。本心の自分は今の一瞬一瞬に、新たな『神愛の表現』を、全大宇宙のすべてに感じ取って、湧き上がる無限の無限の感謝と歓喜に打ち震えているのです。




 本心の自分にとっては、『今』の一瞬を最高に生きることが、何よりも大事なのです。神さまの全徳は光一元に、無限の無限の大光明燦然と輝いているのです。その全大宇宙のすべてのすべてを、無限の無限の価値あるものとして、今の一瞬に感受することが、本心の自分に与えられた最高最大の務めなのです。ここにのみ真実の大楽は存在しているのです。