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すべてを満足させる真・善・美・聖の生活


 真・善・美・聖の生活とは、自らも満足し、他のすべてをも満足させる生活です。それは無駄を徹底的に排除した、極めて質素な生活です。




 自他の幸せに本当に必要なものだけを、供給し合える生活です。




 コップ一杯の水も、神さまによって生かされ、完全なる自由意志を与えられているのです。




 人間が自分勝手に、どのような使い方をしても良いというわけでは無いのです。その水が喜んで、自らの生命を捧げてくれるような使い方をしなかったら、その水を満足させることはできないのです。




 水は大自然の中で、自由自在に楽しく生きたいのです。ある時は小川のせせらぎとなって、自然と語り合い、またある時は滝となって落下したり、また大河の流れと一つになっては、大生命に生かされている喜びに浸っているのです。時には水蒸気となって天に舞い上り、空の雲となって悠々と遊び、雨となって地上の植物を潤し、地下水となって地中に潜伏し、やがては泉となって地上に顔を出すのです。




 個としての生命が、自己の自由な生き方を捨てて、自己の生命を捧げても悔いが無いと言う時は、常に大きく全体である大生命のお役に立つことができると確信できる時です。無駄に使い捨てられては、喜びも満足もあったものでは無いのです。




 万物の霊長である人間は、大生命である宇宙の大神さまの御心を実現してゆくという、大事な役目を与えられているのです。それ故にこそ、万物は人間に協力を惜しまないで、その生命までも捧げ尽くしてくれるのです。




 人間が個としての自分をすっかり投げ出して、全体のために奉仕するという生き方になった時に、初めて万物のことごとくが、喜んでその身を捧げ、悔いは無いと満足してくれるのです。




 人間の世界においても、お互いが自己中心の利己的な生き方をとる時には、この世はたちまちにして醜い争奪の修羅場となり、全員が地獄のどん底に落ちて苦しむことになるのです。人間が自分達の欲望を満足させようとして、人間優先的な生き方をとる時は、人間以外の万物に対しては実に利己的であって、万物を傷つけ不幸のどん底へたたき込むことになるのです。




 一人の人間の贅沢な生き方が、人間以外の万物に対して、どれほど多くの幸せを奪っているか、計り知れないものがあるのです。




 贅沢な人間が増える時、その社会は必ず滅ぶのです。これは因果応報なのです。




 万物を傷つけ、殺し、不幸にしながら、人間だけが幸せになる道理は無いのです。




 人間は万物を愛し、万物の幸せを守り、全体の調和を測ってゆかなければならないのです。本当の豊かさとは、人工的ながらくたの山を大きくすることでは無いのです。




 幸せ一杯の笑みを浮かべた万物が、喜びの賛歌を歌っている、無限に調和した世界を実現してゆくことなのです。生命の一体感・愛の心から出発した生き方が、真・善・美・聖の生活です。