ありがとうございます 神書 1-26

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天地の初発は、常に『今』


 天地の初発は、常に『今』なのです。宇宙創造の始源は、常に『今』なのです。過去・現在・未来のどの位置にあっても、天地の初発は、常に『今』なのです。




 時間・空間を超越している絶対神が、『今・ここに』出現する、その一瞬一瞬が宇宙創造の始源であり、宇宙創造の完成なのです。




 唯一無二の絶対神が、全大宇宙として動き出て、鳴り出て、姿を現すのは、すべての時間・すべての空間に、同時・一切所なのです。




 人間は自己の信念に従って、それぞれに時間・空間の座標軸を定め、『今・ここに』天地の初発を見、天地の完成を見るのです。




 全大宇宙のすべては、今の一瞬一瞬に、新たに誕生し続けているのです。しかし、その『天地一新!万物新生!』の真創造のすがたが見えないのは、心の目・霊眼が根本の無明によって覆われているからです。




 過去世から積み重ねた想念感情が、業想念の黒雲となって心を覆い尽くし、光明の世界を暗黒の世界に見せる根本無明となっているからです。




 ここに『禊祓』、即ち業想念を捨て去り、本心の自覚を深めるという、心の潔齋が先ず必要となるのです。




 一切の業想念は、執着より生ずるのです。全大宇宙のすべては、絶対神の現れであり、絶対神の所有物なのです。だから自分の物というのは、何一つとして存在しないのです。本来、無一物であり、無所有であり、無所得であり、私有できるものは何一つとして無いのです。それなのに私有物を持とうとして、絶対神のものを自分のものなのだと、思い込んで喜んでいるのは、顛倒妄想・迷妄虚夢に陥っているのです。その結果が光明楽士を見失い、暗黒苦士に呻吟するということになっているのです。




 先ず一切の掴みを放せ!執着したままでは、心の向きを変えることはできないのです。次に心の目を絶対神に、光明の方面に向き変えよ!その時に絶対神からの無限の無限の大光明が、滝のように降り注がれていることに気付くのです。そして無限の恵みが、無限の喜びが、無限の幸せが、無限の善きものが、一瞬一瞬その装いを新たにして、降り注ぐようにして与えられていることに、感謝感激雨霰となるのです。




 暗い所から明るい所を見れば、何事もはっきりと、明るく透き通るように見えてくるものです。暗黒の極・地獄のどん底から、光明の方面に心を向け、天上を仰ぎ見よ!向き直ると同時に、暗黒が消え、地獄が消えて、絶対神の無限の愛の御尊容が、感謝の積み重ねに比例して、心の中に整理されて見えてくるのです。




 絶対神の無限の愛の御尊容を、本心の心でしっかりと見つめ、理解し、無限に深い・無限に広い感謝の心で把握してゆくことが、禊祓即ち悟りへの道なのです。絶対神に心を向けて、ただひたすらに感謝し続けてゆけば、絶対神の真創造のすがたを、今・ここに把握することができるのです。