ありがとうございます 神書 1-23

神書目次へ

神さまの本体は、大光明なる一大光源


 神さまを『光』に例えると、神さまの本体は、無限の無限の大光明なる一大光源です。そして全大宇宙と現れた神さまの表現は、マイナスの極からプラスの極に至る、無限の無限の種類の、変化に富んだ光の表現です。光も大光明だけでは、小さい光の妙趣を表現することができないのです。そこで絶対の光は、無限の無限の大光明と無限の無限の大暗黒の両極に分かれ、その両者の組合わせによって、無限の無限の種類の、光の表現を生み出したのです。




 無限の無限の大暗黒とは、そこに無限の大光明を加えても、無限の大光明を吸収して、なおかつ無限の大暗黒を保っている、ブラックホール的な暗闇です。しかしそこに加えられた光の量の違いによって、無限小の虚の光から無限大の虚の光に至る、無限の種類の虚の光の表現が生み出されるのです。さらにそこへ無限の大光明が加えられてゆくと、その量の違いによって無限小の実の光から無限大の実の光に至る、無限の種類の実の光の表現が生み出されるのです。無限の無限の大暗黒を知るもののみが、無限の無限の大光明の真実の価値を見出すことができるのです。




 神さまは『光』です。その神さまの光は、純白の光です。その純白の光は、すべての光を総括し、一大包容しているのです。神さまが光の表現を生み出す時には、その純白の光は、無限の種類の色彩の光に分かれるのです。神さまの全徳の無限の無限の輝きというのは、無限の種類の光が、縦横無尽に組み合わさったものなのです。無限に無限に美しい・無限に無限に素晴らしい、神秘不可思議な光の表現です。




 本心の自分は、神さまの無限の無限の虚実の光の表現に対して、自由自在に波長を合わせて、その光の表現の中身の放送番組を楽しむことができるのです。本心の自分の出す光を、加減することによって、自分の希望する、神さまの光の表現に波長を合わすのです。無限の無限の種類のチャンネルの中から、自由自在に波長を合わせて、自分の欲するチャンネルの放送番組を選ぶのです。




 例えば小さな虚の光を発光させることによって、小さな虚の光の世界に波長を合わせて、その番組を味わうこともできるし、また大きな実の光を発光させることによって、大きな実の光の世界に波長を合わせて、その番組を楽しむこともできるのです。どちらも本心の自分にとっては、自分の波長に合った放送番組を、自由に味わい楽しんでいるだけなのです。今眺めている放送番組が、すべてでは無いのです。無限の無限の種類の放送番組が、既に用意されているということを、決して忘れてはならないのです。どの放送番組にでも、自由に波長を合わせて、それを楽しめる自分になることが、何よりも何よりも大切です。その為には、より高い・より大きな光に、波長を合わせる練習をしてゆく必要があるのです。