ありがとうございます 神書 1-20

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肉体人間は、神さまという大木の小さな枝葉


 肉体人間の力だけで、幸せになろうとしても、それは不可能なのです。肉体人間は、神さまに対して、もっともっと謙虚に、素直にならなければならないのです。




 肉体人間は、神さまという大木の、小さな枝葉に相当するものです。末端の小さな枝葉は、大木の一部分として存在していて、全体によって生み出され、生かされているのです。部分は全体につながっていてこそ、生かされるのです。部分は全体から切り離されたら、後は枯死するしかないのです。




 肉体人間は神さまの末として、神さまの現れとして、生み出され、生かされているのです。肉体人間が生きているのは、神さまの力によって生かされているのであり、神さまが肉体人間として現れて生きているということなのです。




 しかしこの明白な事実を無理やり否定して、神さまと肉体人間とを切り離そうとする、無知な者もいるのです。神さまなんか存在しないと、うそぶく愚か者もいるのです。神さまの助けを拒絶して、四苦八苦している馬鹿者もいるのです。




 神さまとの繋がりを自ら断ち切って(自殺して)、地獄の極苦を味わう哀れな者もいるのです。わざわざ不幸になろうとしているように思われるのです。与えられている無限の無限の幸せを、自分の分だけではなく、他人の分まで、一生懸命に壊して捨てようとしているのです。それなのにそれなのに、幸せが欲しいと捜し求めているのです。

 神さまは無限の無限の幸せの本体であり、無限の無限の幸せそのものです。神さまと繋がっていさえすれば、肉体人間はいつも無限の無限の幸せで一杯!なのです。




 だから神さまと肉体人間とは切っても切れない間柄である、という事実を忘れなければよいのです。




 幸せを感じたいのであれば、既に与えられている幸せを数え上げて、心に確認するだけでよいのです。それが感謝の祈りなのです。

 「生かされている!ありがとうございます」

 「今日もまた、この肉体を使わせていただける。ありがとうございます」

 「今日一日を楽しく生きるために必要なものが、数え切れないほど一杯与えられている。ありがとうございます」

 「大自然のすべてが、神さまの愛の現れとして、私を祝福し微笑みかけてくれている。ありがとうございます」

「神さまの御心である真・善・美を表現してゆくという、創造の使命を与えられている。その為に必要な知恵・愛・力・勇気・希望は、無限に与えられている。ありがとうございます」

 神さまから私たち一人一人に与えられている幸せは、“無限の無限の幸せ”であって、その一つ一つを発見し、確認し、感謝して、自分のものにしてゆくことが、人生の真の目的であり、真の生き甲斐であり、真の喜びなのです。毎日毎日、新たな幸せを発見する為に、喜び勇んで生きることが大切なのです。