ありがとうございます 神書 1-17

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正しい信仰とは、本心を開発すること


 いつまでも業想念の奴隷になっているようでは、その人の信仰の仕方が、間違っているのです。




 一刻も早く、本心の自分をしっかりと生きるようにならなければ、正しい信仰では無いのです。信仰に入るきっかけは、間違った御利益信仰であっても、速やかに本心開発を目的とする、正しい信仰に切替えなければならないのです。




 いつまでも自分の五欲を満足させる為に、神さまを利用しようとしていては、大きな間違いを犯していることになるのです。間違った信仰を続けていては、本当の心の安らぎは得られないのです。




 業想念(五欲)の心で、何でも自分の思い通りになることを願っていては、本心の自分を見失ってしまうのです。




 どんな小さなことでも、自分の思い通りにしようとしてはいけないのです。




 自分の願い通りになることを、願ってはいけないのです。自分の思い通りに・願い通りにというのは、業想念の最たる心なのです。




 業想念の心を幾ら喜ばせても、本心の自覚は深まらないのです。本心の自覚が深まらなければ、本当の幸せ・安らぎは、決して得られるものではないのです。神さまの助けは、常に本心に対して与えられるものです。業想念の自分勝手な願いを、叶えるようなことは決して無いのです。業想念の心で幾ら思い通りに・願い通りになっても、それは本当の幸せでは無いのです。業想念の心で積み重ねたものは、いずれは必ず自壊作用を起こして、苦しみを伴って消滅するのです。




 本心の自分をしっかりと生きるには、すべてを神さまの御心のままに、任せ切らなければならないのです。神さまは常に、本心が輝き出るように、助けて下さっているのです。本心の輝き出るのを邪魔している業想念を、一番適切な方法で消し続けて下さっているのです。神さまに相対するのは、常に本心の自分でなければならないのです。本心の自分で相対するということは、感謝だけの心になるということです。




 自分の運命・境遇がどんなものであっても、無限の感謝だけで受けるということです。




 神さまのすることには、決して間違いは無いのです。




 神さまの与えて下さるものに、悪いものは何一つも無いのです。今自分に与えられたすべてを、無限の感謝で受け続けてゆかなければ、神さまの御心には適わないのです。




 自分の積み重ねた業想念(借金)の大きさに気付かないから、自分勝手な選り好みをするのです。業想念(借金)の消し方も、神さまにお任せしなければ、上手な消し方はできないのです。




 神さまは常に、万分の一以下に軽減したマイナスの姿で、大きな業想念を消し去ろうとして下さっているのです。それなのにそれなのに、神さまに対して不平・不満・不足を言うようでは、その業想念を大きく消し去ってもらうことはできないのです。感謝一筋の心にならなければ、マイナスの姿がいつまでも付きまとうのは、自分自身が神さまの愛の助けを、十分に受け入れないからです。