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大神さまの分霊分身としての人間の使命


 宇宙の大神さまの御心が“本源心”即ち“本心”です。大神さまの分霊分身としての人間の使命は、本心をしっかりと把握して、大神さまの御心のままに、“真・善・美・聖”をより多く表現してゆくことです。




 大神さまの御心のままに、本心の自分をしっかりと生きていれば、人間は心の奥から沸き上がる無限の歓喜と感謝と幸福に満たされるのです。なぜならば本心の自分は無限の歓喜・無限の感謝・無限の幸福そのものであるからです。逆に本心の自分を忘れた時には、過去に積み重ねた想念感情即ち業想念の心に囚われ、その奴隷となって四苦八苦することになるのです。光を灯す時、闇は自然に退散し、光を消す時、闇は瞬時に忍び寄るのです。本心の自分をしっかりと輝かしていたら、決して業想念の奴隷になることはないのです。




 本心をしっかりと把握する為には、大神さまの全徳を、具体的に数え上げるのが一番です。大神さまの全徳は無限の無限の大光明となって、光一元に全大宇宙を輝かしているのです。




 大神さまは、至仁・至護・至慈・至愛・至貫・至聖・至尊・至忠・至孝・至悌・至善・至上・至高・至大・至広・至純・至清・至浄・至美・至妙・至幸・至福・至豊・至宝・至智・至理・至精・至誠・至治・至道・至正・至真・至喜・至悦・至楽・至朗・至明・至輝……等々であり、また自由自在・金剛不壊・完全平和・大調和・大安心・完全円満・神聖恋慕・自他一体・無我無心・無邪気……等々であり、また楽天的・積極的・前進的・建設的・理想的……等々であるのです。




 本心の自分を忘れさえしなければ、人間はいつどこにあっても、“無限の無限の幸せで一杯”なのです。すべての不幸・すべての苦しみの根本原因は、本心の自分を忘れているからです。自他の不幸・苦しみの原因を、環境や他人のせいにしている間は、いつまでたっても本心の自分に戻ることはできないのです。一刻も早く本心の自分に戻りたければ、すべての責任は自分自身にあるのだと大きく認めることです。責任を回避すればするほどに、本心の自分から遠ざかることになるのです。無責任な甘い生き方では、本心の無限力を発揮するチャンスを失ってしまうのです。本心の自分の出番が無いので、奥に引っ込んでしまうのです。




 本心の自分が奥に引っ込んでしまうと、業想念が我が物顔で出てくるのです。業想念の心を自分の心として掴んだ途端に、四苦八苦するようになるのです。本心の自分は、大きい責任ある仕事を与え続けなければ、顔を出してくれないのです。今よりも更に大きい責任ある仕事を、どんどん与え続けなければ、本人の自分は引っ込んでしまうのです。




本心の自分は、いつも全力を出し尽くして、完全燃焼することによって、大きく輝くことができるのです。








 宇宙の大神さまの御心が“本源心”即ち“本心”です。大神さまの分霊分身としての人間の使命は、本心をしっかりと把握して、大神さまの御心のままに、“真・善・美・聖”をより多く表現してゆくことです。大神さまの御心のままに、本心の自分をしっかりと生きていれば、人間は心の奥から湧き上がる無限の歓喜と感謝と幸福に満たされるのです。なぜならば本心の自分は無限の歓喜・無限の感謝・無限の幸福そのものであるからです。逆に本心の自分を忘れた時には、過去に積み重ねた想念感情即ち業想念の心に囚われ、その奴隷となって四苦八苦することになるのです。光を灯す時、闇は自然に退散し、光を消す時、闇は瞬時に忍び寄るのです。本心の自分をしっかりと輝かしていたら、決して業想念の奴隷になることはないのです。

 本心をしっかりと把握する為には、大神さまの全徳を、具体的に数え上げるのが一番です。大神さまの全徳は無限の無限の大光明となって、光一元に全大宇宙を輝かしているのです。大神さまは、至仁・至護・至慈・至愛・至貴・至聖・至尊・至忠・至孝・至悌・至善・至上・至高・至大・至広・至純・至清・至浄・至美・至妙・至幸・至福・至豊・至宝・至智・至理・至精・至誠・至治・至道・至正・至真・至喜・至悦・至楽・至朗・至明・至輝・・・・・・・等々であり、また自由自在・金剛不壊・完全平和・大調和・大安心・完全円満・神聖恋慕・自他一体・無我無心・無邪気・・・・・・・等々であり、また楽天的・積極的・前進的・建設的・理想的・・・・・・・等々であるのです。

 本心の自分を忘れさえしなければ、人間はいつどこにあっても、“無限の無限の幸せ”で一杯なのです。すべての不幸・すべての苦しみの根本原因は、本心の自分を忘れているからです。自他の不幸・苦しみの原因を、環境や他人のせいにしている間は、いつまでたっても本心の自分に戻ることはできないのです。一刻も早く本心の自分に戻りたければ、すべての責任は自分自身にあるのだと大きく認めることです。責任を回避すればするほどに、本心の自分から遠ざかることになるのです。無責任な甘い生き方では、本心の無限力を発揮するチャンスを失ってしまうのです。本心の自分の出番が無いので、奥に引っ込んでしまうのです。本心の自分が奥に引っ込んでしまうと、業想念の心が我が物顔で出てくるのです。業想念の心を自分の心として掴んだ途端に、四苦八苦するようになるのです。本心の自分は、大きい責任のある仕事を与え続けなければ、顔を出してくれないのです。今よりも更に大きい責任のある仕事を、どんどん与え続けなければ、本心の自分は引っ込んでしまうのです。本心の自分は、いつも全力を出し尽くして、完全燃焼することによって、大きく輝くことができるのです。