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               第一章 無限の無限の幸せが一杯!

      本心の心

 本心の心をしっかりと生きれば、無限の無限の幸せで一杯!になれるのです。本心の心とは神さまの御心そのものですから、神さまの御心に従って素直に生きることが、本当の幸せをしっかりと掴むことになるのです。神さまの御心に素直な生き方とは、『今』を最高に生きることです。それは一瞬一瞬新たに新生している宇宙のすべてを、神さまの全徳の無限の無限の大光明燦然と輝いている姿に見て、全く初めて見るものとして、感動を新たに受け止めてゆくことなのです。
 すべてを神さまの現れと見る本心の心であれば、石ころ一個にも無限の絶対価値を見出すことができるのです。四季の変化を味わう場合でも、本心の心であれば、今与えられている季節を、最高に素晴らしいものとして、受け止めることができるのです。過去を掴んで、業想念の心に陥ると、無感動の心となったり、好き嫌いの感情の奴隷になってしまうものです。そうなるとどんな素晴らしいものに対しても、相対的な有限の小さな価値しか認められなくなるのです。過去を掴む心・業想念の心の奴隷となっては、決して本当の幸せを味わうことはできないのです。
 何でも自分の思い通りになることを願い、思い通りになって喜んでいるのは、小さな小さな自己満足の喜び・業想念の心の喜びに過ぎないのです。本心の喜びと比較すれば、それは無に等しいものです。神さまが与え続けて下さっている無限の無限の幸せを、しっかりと受け止めてこそ、本心の喜びになるのです。小さな部分のみを掴んで、それだけが自分のものなのだと思うから、大きな全体が自分のもので無くなってしまうのです。本心の心は常に、宇宙全体を神さまからのプレゼントとして、一瞬一瞬新たな感動をもって、無限の絶対価値あるものとして受け続けるのです。
 今の一瞬にどれだけ沢山のものを、感動の心で受け止めることができるかが問題なのです。本心の心を磨き出し・輝かして、日に日に感謝を無限に大きく・無限に深くしてゆくことが、本心の自分をしっかりと生きていることになるのです。
 一切の苦しみの根本原因は、本心の自分を忘れて、業想念の心の奴隷に陥ることにあるのです。本心の自分には、一切の苦しみは無いのです。本心の自分は感謝する心・喜ぶ心ですから、常に無条件で、すべてをプラスに観て、感謝し喜べるのです。過去を掴む心・執着の心・業想念の心には、常に七難八苦が影のように付きまとうのです。何故なら移り変わる無情なものに執着して、その変化を止めようとしても無理なのです。決して思い通りにはならないのです。だから苦しむことになるのです。自分の思い通りにならないのが苦しみなのです。宇宙のすべては、神さまの御心のままに移り変わっているのです。ただそれを感謝の心で受けさえすれば、無限の無限の幸せで一杯になれるのです。