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               第一章 無限の無限の幸せが一杯!

『今』の一瞬一瞬に、新生し続けている全大宇宙
 全大宇宙のすべてのすべては、『今』の一瞬一瞬に、新生し続けているのです。映画のフィルムを一秒間に二十四こま回転させると、スクリーンに映写される姿は、連続しているように感じられるのです。本当は繋がりの無い二十四こまのフィルムを、順番に映写しただけなのに、前の画面を記憶して掴んでしまう為に、それが心に残像として残り、前後の画面を巧みに繋ぎ合わせて、連続して繋がっているかのように錯覚して見るのです。これと同じように、宇宙大劇場に映写されている姿も、全く新しい画面が順番に映写されているだけなのです。ただ一つ違うところは、一秒間に無限のこまが回転して、新しい画面が新生し続けているという点です。全大宇宙というスクリーンに、大神さまの全徳が無限の無限の大光遍照して、この上なく素晴らしい光一元の大調和した姿となって、『今』の一瞬一瞬に、新しい画面が映写され続けているのです。
 古来、聖者方が『物質に執着するな。過去を掴むな』と教えたのは何故でしょうか?それは今現れている画面に執着していては、次から次へと新生してくる画面を正しく見ることができなくなるからです。また過去の画面に心を奪われて、その残像の中に入り浸っていては、新しい何ものをも心に感じ取ることができないからです。大神さまが与え続けて下さっている折角の無限の無限の幸せも、何一つとして受け取ることができなくなってしまうからです。例えば、大神さまがある一人の愛し児に、無限の種類の美味しいお菓子を、全部与えたいと願ったとするのです。そして無限の種類のお菓子を、その子の前に並べて、「さあ全部お前に上げるから、遠慮なくお食べ」と言ったとするのです。
 ところがその子には、最初に食べたお菓子が余りにも美味しかったので、次のお菓子を食べてみようという気持ちが起こらなかったのです。その上いつまでも、その同じお菓子だけを食べ続けたいとさえ思ったのです。大神さまはこの時、「もっと美味しいお菓子を、無限に作って与えたのに、どうしていつまでも、同じ一つのお菓子だけに執着しているのだろうか」と嘆息されるに違いないのです。
 大神さまの人間に対する、一番の願いとは何でしょうか?それはきっと、大神さまの無限の無限の愛を、素直に受け入れて欲しい、ということに違いないのです。与えても与えても、拒絶して受け取ってくれなかったら、どんな気持ちになるでしょうか?大神さまは何億年以上でも、腹を立てたり、見捨てたりすることなく、いつまでもいつまでも、忍耐強く待ち続けて下さっているのです。何という無限に大きな、無限に深い愛の心でしょうか。大神さまに生かされているのです!大神さまに愛されているのです!一瞬一瞬新生してくる、全大宇宙のすべてのすべては、大神さまの愛の御姿なのです!