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               第一章 無限の無限の幸せが一杯!

真・善・美・聖を表現し続けている宇宙の大神さま

 宇宙の大神さまは、一瞬一瞬、新たな全大宇宙と現れて、真・善・美・聖を表現し続けているのです。人はこの真・善・美・聖を学ぶことによって、宇宙の大神さまの御心を、少しでも多く把握しようと、努力し続けているのです。宇宙の大神さまは、余りにも偉大な為に、はるか無限のかなたに、遠く存在しているかのようです。太陽と言えども、有限の小さい光にすぎないのですから、大神さまの全徳の無限の無限の大光明とはどんなものか、全く想像を絶しているのです。無限小の虚の光から無限大の実の光に到る、無限の無限の段階の光の表現が、マイナス無限大の闇を起点にして、光一元に完成されているのです。全大宇宙にはただ光の表現のみが存在しているのです。
 闇はただ光の表現を和らげる素材として存在しているのみです。有限の小さい光を表現するには、光を和らげる闇の助けが必要です。夜空に輝く星、夜陰に飛び交う蛍を見て、宇宙の大神さまの光の表現の素晴らしさを、褒め讃えることができれば幸いです。逆に闇に囚われて、暗い暗いと嘆き悲しむとすれば、大神さまの御心を理解しない愚かな行為です。
 全大宇宙は、宇宙の大神さまの全徳が、無限の無限の大光明燦然と、光一元に輝いている表現です。全ての表現が一大調和して存在しているのです。それは理想の花園を考えてみると判り易いのです。
 一大調和の理想の花園とは、どのような状態でしょうか?満開の花ばかりでよいでしょうか。否、次の瞬間から萎びてゆく花ばかりでは、理想の花園とは言えないのです。種蒔かれた姿から、発芽した姿、種々様々の成長段階の姿、蕾の姿、満開の花の姿というように、すべての状態がバランスよく配置されて、次から次へと新しい花咲く状態が理想の花園です。満開の花には最高の美が表現されているとしても、他の段階の姿にもそれぞれの美が表現されているのです。どんな姿にもそれぞれの美を発見してゆくことが、美一元の大神さまの表現を、正しく感じ取ることになるのです。
 “真”は主に科学を通じて学び、“善”は主に宗教を通じて学び、“美”は主に芸術を通じて学ぶのです。そしてこの三つを総合した“聖”なるものを学び、宇宙の大神さまの御心をより深く理解し、把握してゆくのです。すべての学習・体験は、宇宙の大神さまをより詳しく知るための勉強です。宇宙の大神さまの絶対の愛の御心を、より広く、より深く、より多く、より詳しく、より具体的に知ってゆくことによって、大神さまへの感謝は無限に無限に深まるのです。
 宇宙の大神さまが、幸せの本体です。宇宙の大神さまを知ることが、真実の幸せを知ることになるのです。宇宙の大神さまの愛を感受することが、真実の幸せを掴んだことになるのです。大神さまへのひたすらなる感謝行は、この大神さまの愛を感受する為なのです。