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               第一章 無限の無限の幸せが一杯!

神さまに生かされている人間

 人間が「自分の力で何かをしている」と思っているとすれば、これほど愚かしいことは無いのです。呼吸について考えてみれば、そのことがよく判るのです。人間が呼吸は自分の力でしているのだと考えて、絶え間なくハーハーハーハーと一所懸命に努力したとしても、これにどれほどの価値があるのでしょうか?まして夜も眠らずに、努力して呼吸をしている人が仮に存在するとしたら、愚の骨頂と言えるのではないでしょうか?

 呼吸は人間がことさら意識しなくても、内なる生命力(神の力)によって、自然に正しく行われているものです。反対に意識しない時の方が、自然の理に叶っていて、必要に応じて相応しい呼吸になっているのです。このようにすべて、内なる神の力に任せ切った時にこそ、最も理想的な生き方となるのです。

 人間が「これは自分の能力である、これは自分の努力である、これは自分の意志力である、……」と言っているもののすべてが、実は内なる神より流れ来っている、神の力以外の何ものでも無いのです。それなのに、人間が勝手に、『神の力』を自分の力であると嘘吹いているのです。だから「これは自分の力である!自分は偉いのである!」と偉そうに言えば言うほど、その愚かさが目立ってくるだけのことです。それは傲慢で鼻持ちならぬ醜い姿でしか無いのです。

 人間は神さまに対して、もっともっと謙虚に、どこどこまでも謙虚にならなければならないのです。神さまの大恩に対して、もっともっっと感謝の心を深めてゆかなければ、忘恩の徒・恩知らず・大泥棒・鬼畜にも劣る奴・等々と罵倒されても、文句一つ言えないのです。

 すべての人間が、神さまから『無限の無限の幸せ』を既に与えられているのです。その真実に気付いている人、気付いていない人、感謝している人、感謝していない人、等の違いはあっても、これは厳然たる真実なのです。人間が幸せを与えられているのは、その人間が何か立派な善いことをしたから与えられている、というような条件付きの与えられ方では無いのです。善人にも悪人にも、どんな人にもすべて平等に、無条件で『無限の無限の幸せ』は、既に与えられているのです。ああそれなのにそれなのに、まだ『無限の無限の幸せ』に気付かない人が多いのは何故でしょうか?それは謙虚な心で感謝することを怠っているからです。

 人間は神さまに生かされているのです!愛されているのです!護り導かれているのです!!只只感謝を深めてゆきさえすればよいのです。それ以外に必要なものがあるでしょうか?何も無いのです!ありがとうございますと感謝する自分に戻れば、自然に理解できるのです。