ありがとうございます 神書

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「ありがとうございます」という言葉

 『ありがとうございます』という言葉は、宇宙絶対統一神の究極の名前です。この神名(かみな)を唱えることによって、宇宙絶対統一神との交流・一体化が、加速度的に促進されてゆくのです。本来本心の自分は、神さまと一体なのです。『ありがとうございます』と感謝をし続けていたら、神我一体感が失われることは無かったのです。ところが本心の自分の呼吸である、『ありがとうございます』と唱えることを忘れた為に、本心の心が意識朦朧と気絶してしまったのです。

 本心の心の意識を覚醒させる為には、『ありがとうございます』と感謝し続けて、呼吸を取り戻して、神さまのエネルギーを一杯吸収する必要があるのです。ただひたすらに・一途に・一心不乱に・真剣に・本気に・命懸けになって、『ありがとうございます』と唱え続ければ、必ず速やかに本心の意識が蘇って来るのです。感謝が自然に湧き上がって来るようになれば、本心の自分が蘇生したことになるのです。そうなれば一瞬一瞬感謝に生きて、神我一体感・無上の幸せを味わい続けることができるのです。

 「ありがとうございます」という言葉は、言霊で解釈したときに正しい意味がわかります。
 これまで救う側に立つ神仏や人が、あまりにも自我を出し過ぎたのです。自我を滅却し、謙虚にしりぞいて、宇宙の大神さまのみを、前面に押し出すところを、逆にして自分を出した為に、枝葉にとらわれさせ、対立を生じさせたのです。すべての神仏を束ねる宇宙の大神さまが、前面に出て来なければ、収拾がつかなくなっているのです。「ありがとうございます」は、世界平和の為の最後の切り札です。

 「本当の神さまとは何か」これが一番大事です。本当の神さまは「全ての全てなる神さま、唯一無二絶対の神さま」です。先ず、「神さま」という言葉の語源の意味から考えてみたいと思います。大体五つに分けて、神さまの働きを考えてみましょう。
 先ず、表現に現れる前、即ち相対の両極に分かれる前の「絶対」があります。「同じものを二つと作らない」「二度と同じことを繰り返す必要のない」だけのものを「絶対」の中には全て持っています。
 その絶対の中から「創造」の働きが出てきます。「絶対」にある「相対の両極」を全部両方へ振り分けて、それを「らせん状に組み合わせて」複雑無限というぐらいの、もの凄い組み合わせの働きがあるわけです。そして全てを完璧に全てを尽くして組み合わせた表現というのが、神さまの最高表現です。だから、最高に素晴らしい表現だけではなく、その中に一番下から一番上まで全部揃って、頂点に最高表現の姿があり、全部を総括したのが本当の最高表現になっているのです。
 「神さま」という言葉も、
 「隠身の神・かくりみ」が絶対の神です。
 「仮凝身の神・かごりみ」が創造の神。
 「耀身の神・かがりみ」が統一の神。
 「駈身の神・かけりみ」が神通自在の姿の神。
 「限身の神・かぎりみ」が現実化させる、愛の心ゆえに自ら限定した世界に下りて力を揮う神。
 唯一無二の絶対者のすべての働きを総称するのが、この『神』という言葉です。

 絶対神をどの立場から眺めるかによって、その観方に違いが生ずるのです。絶対神を光源の中心としての働きと見る時に、カクリミ(隠身)と言うのです。相対の両極を組み合わせる働きとして見る時に、カゴリミ(仮凝身)と言うのです。光の極点からすべての表現を一大統一する働きとして見る時に、カガリミ(耀身)と言うのです。神通自在な光の流れの働きとして見る時に、カケリミ(翔身)と言うのです。愛の心で光の自由自在の動きを限定する働きとして見る時に、カギリミ(限身)と言うのです。いずれも立場を変えて絶対神を眺めた時の、絶対神の働きを言い表しているのです。約めて言えば全てカミとなるのです。
 「ありがとうございます」にはその全部が含まれ、究極の神さまの名前、全ての全てなる神さまの名前です。

 『ありがとうございます』とは、
 
 「あ」(絶対・本源・光源・光・あかり)
 「り」(ラ行・螺旋状にすべてが生み出され組合わさる・創造)
 「が」(輝きに輝く・無限に無限に輝く・統一)
 「とう」(相対のすべてが十字に組合わさり、大調和する。と…尊し、う…生まれる・うれしい)
 「ご」(凝り固まって凝り固まって・物質化して物質化して・限定)
 「ざ」(光・命がさらさらと流れる・変化無常)
 「い」(いのちが輝いている、躍動している・命・生きる)
 「ま」(まったき、全て・完全・完璧)
 「す」(絶対へ戻る・すべて・根源・素)
 「ます」(弥増しに増す)
という意義で、神さまの働きのすべてを総称する言葉です。

 「ありがとう」が、絶対から創造されて、無限に無限に輝いた大調和した、宇宙の根源の姿、天照大御神さまの意味、「ございます」が「この世に姿を物質化して現してくださっている」という意味です。絶対から現われた無限に無限に輝いたものが、現実のこの世にまで物質化して現われ、完璧な表現をとり、また現われては中心へ、絶対へ戻って行っているという意味です。自然に循環しているという意味が含まれています。『ありがとうございます』は「天照大御神さまが今ここにまします」と同義です。

 『神さま! ありがとうございます』と心に唱え続ければ、神さまのすべての働きを感受し、神さまと一体化するのです。唯一無二の、すべてのすべてなる、本物の神さまとの一体の自覚が、自然に与えられる、神秘不可思議な言葉です。

 「ありがとうございます」の神さまは、無限に無限に謙虚です。人の自由を決して決して縛ることはないのです。だからこそ、感謝に生きたい人、感謝に生きようとする人は、「ありがとうございます」の一言に絞り込んで、心に唱え続け、神さまを受け入れる必要があるのです。ほかにちょっとでも心を向けたら、そちらを優先しなさいと、「ありがとうございます」の神さまは引っ込んでしまうからです。

 『ありがとうございます』と心に唱えることは、
(1)神さまに心を向けているのです。
(2)自分のすべてを、神さまに捧げ尽くしているのです。
(3)謙虚な謙虚な心になっているのです。
(4)素直な素直な心になっているのです。
(5)報恩の心になっているのです。
(6)奉仕の心になっているのです。
(7)与え尽くす心になっているのです。
(8)神さまと交流しているのです。
(9)神さまと融合・一体化しているのです。
(10)神さまの御心、神さまの全てを受けているのです。

 宇宙絶対神は、『愛』の御心が自然に発露して、創造・統一・自由・限定という四つの働きを、渾然一つに融け合わせて、全大宇宙のすべてのすべてとなって、活現しているのです。『絶対』は、過去・現在・未来を通じて現れる、すべての表現の源泉です。絶対の中には『すべて』があるのです。すべての表現は、絶対より生まれ出てくるのです。すべての表現は、絶対の一部です。譬えれば、絶対とは海全体です。表現とは海の表面の波の変化です。絶対(海)が動くと、表現(波)が生まれるのです。

 すべての表現は『愛』より出発し、一瞬一瞬『愛』を表現し続けて、『愛』に帰るのです。『愛』とは『一体の自覚』です。宇宙のすべては、お互いに与え合い、包容し合い、生かし合い、助け合い、補い合って、一つの生命体として、渾然融和大調和しているのです。全体として見れば、一瞬一瞬が完成の連続です。部分部分として見れば、完成を目指して進化し続ける姿です。宇宙全体は、一つの大調和した美しい花園です。
 無限の種類の花の、無限の段階の成長の姿が、一つに渾然融和して、完璧な姿となって、移り変わっているのです。部分は全体との一体感・愛の故に、全体が必要としているどんな役割でも、喜んで演じることができるのです。部分は『愛』の故に、全体に奉仕するのです。全体の完成の為に、一瞬の休みも無く成長を続け、進化向上し続けるのは、全体のお役に立ちたいという『愛』の心からです。部分が自分の立場を捨てて、全体の調和の為に自らを投げ出し、自らの自由意志によって、統一の中心へ帰一してゆくのは、『愛』の心からです。全体の大調和の為に、自らの自由を制約し、限定するのは、『愛』の故なのです。

 宇宙絶対神の愛の御心は、創造・統一・自由・限定の四つの働きを駆使して、常に新たなる最高表現を生み出し続けているのです。創造の働きは、無活動・非創造・枯死の状態を、打破してゆくのです。そして無限の新生・無限の創造・無限の生命・無限の躍動を、いのちの輝きとして表現しているのです。統一の働きは、すべての部分を、最高に生かすのです。すべての部分を適材適所に配置して、全体を最高傑作に仕上げてゆくのです。一切の創造を、大調和の状態に配列するのです。自由の働きは、どんな役割も、命令されたり、強制されてするのでは無く、自らの自由意志で、喜び勇んで演じるのです。浅い小さな自由を、深い大きな自由に高めるのです。過去の因習・形式・伝統の縛りを無くしてゆくのです。限定の働きは、我が儘・身勝手・放縦を取り除くのです。創造・統一・自由・限定の四つの働きは、全体の調和・みんなの幸せを、実現し続ける為の『愛』の働きなのです。常に『愛』の心に立脚して、創造・統一・自由・限定の働きを、自由自在に駆使してゆくのが、本心の自分の生き方です。