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天照大御神今ここに在します みんな天照大御神!
新たなる全徳無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!
ありがとうございます

1.
 「ありがとうございます」は思いの世界から感謝の世界へ抜け出る為のいのち綱です。思いの泥沼にどっぷりと浸かって嵌った人を救い上げる為には、このいのち綱が必要なのです。
 思いの雲の世界から、感謝の光の世界へ入り、さらに絶対感謝の光源の世界へ戻るのが人生のもっとも大事な課題です。

 思いが消されたら、天照大御神さまとしての自分が蘇り輝き出るのです。
 天の岩戸開きにも幾通りもの意味がありますが、一人一人の自分にとって、「中から、天照大御神さまの輝きが出てくる」とは、「絶対奉仕の心の自分が出てくる」という意味なのです。本当の御恩返しの心を生きる自分になった時が、最高に輝いているのです。

2.
 大自然のすべてが神さまの現れとして絶対奉仕に生きています。万物の霊長と言われている人間が、神さまの大調和を壊しているだけです。神さまの大調和の姿を護るのが人間の役目ですから、どんな自由を与えてもらっても、自由を与えてもらっているからこそ、我が侭な自由をすべて捨て切って、全体への絶対奉仕に生きるのが本当の生き方なのです。

 本当の自由は、絶対奉仕に生きた時にのみ中から湧き上がるのです。
 天照大御神さまは、宇宙の大神さまへの絶対帰一・絶対随順・絶対奉仕という形で、全体への絶対奉仕に生きるのです。

3.
 天照大御神さまとしての自分が中から輝き出してきた人は、本当の恩返しの絶対奉仕に生きるようになるのです。「全体の大きな幸せが自分の幸せなのだ!」という生き方に変わってゆきます。

4.
 毎日毎日の生き方がどのような生き方なのか、真剣に考えなければなりません。本当の徳を積む、絶対奉仕の生き方が大事なのです、感謝の真祈りを祈らせてもらいながら、「神さまの為に・全体の為に」と御恩返しの気持ちで生きるのです。

 これからの本当の生き方は、肉体の自分を生きるのではありません、肉体の自分を生きているのは思いの心を生きているのです。
 本当の感謝の心を生きるというのは、天照大御神さまとしての自分を生きることです。
 天照大御神さまとしての自分が、この肉体を、愛を表現する道具として生きるのです。肉体は、あくまでも表現の道具です。本当の自分は天照大御神さまとしての自分以外にはありません。この自分に気付いたら、本当の幸せは絶対に崩れません。

 肉体が自分として生きている人を見ていれば、みんな儚い虚しい、何の目的もない生き方で苦しんでいるのです。どれだけ強がっても無駄です。そこには心の安らぎも何もありません。だから、いつ死んでも同じなのだという感覚で生きているのです、「百年生きようが今死のうが、たいしたことはない」というように、人生の目的がなくなるのは当たり前なのです。肉体が自分ならば、儚く虚しいものなのです。
 ところが、永遠に生きている無限に無限に輝いた天照大御神さまが自分ならば、人生の目的は定まってきます。絶対奉仕に生きて、宇宙の調和を護るのが、本当の生き方です。

5.
 つまらない過去を掴んで思いの奴隷になっているのは、愚の骨頂です。今の地球は未だそのような姿をとり続けています、思いに負けているのです。その思いを消し去る為のお手伝いは、自分が祈る以外にはありません。どれだけ説教をしても変わりません、自分が感謝の真祈りを実行をする以外にはないのです。

 教えの世界は未だ思いの世界なのですが、感謝の世界は実行の世界です。真の実行の世界、真実行の世界です。「ありがとうございます」と一言唱えることは無限の価値があり、大きい思いも瞬間に消して下さるのです、沢山の縁者の思いも瞬間に消して下さるのです。

6.
 もう既に皆さんは悟っている・天照大御神さまとして悟っているのです。それに気付く為にどう生きるかなのです。
 既にみんな悟っている、既にみんな祈っている、既にみんな救われている。これが真実の姿なのです。それを言葉にして現実化するのです。
 言葉がすべての始まりです。「言葉通りにすべてが成る」のが宇宙の絶対の法則です。言葉通りに必ず成るのです。

7.
 感謝行も絶対感謝にまで進まなければなりません。
 絶対感謝に入っているかどうかは「絶対奉仕に生きているかどうか」で決まるのです。しかもそれが、人や一部の者に対する奉仕ではなく、宇宙の大神さまへの絶対奉仕でなければなりません。

8.
 神さまの立場に立って、神さまの如くに、神さまに代わって、全力を出し尽くすところに、神さまの全智全能が湧き上がってくるのです。真に真に人は神さまの自己実現なのです。

9.
 人の本体・本源・根本・本心とは、天照大御神です。即ち新たなる全徳の無限の無限の輝きが一杯!の存在です。天照大御神は常に自ら輝くと同時に、他を照らす働きをしているのです。だから無限の無限の輝きが内から湧き上がってくるのです。

 井戸の水も汲み出せば汲み出すほど、底から新しい清水が湧き出てくるのです。それと同じように、人も働いて働いて働いて、与えて与えて与えて、自分の器を空っぽにすれば、内奥から神さまの知恵も愛も力も無限に湧き出てくるのです。

 無限の無限の選択肢の中から、何を選んで受けても自由なのです。また大きく全体をつかむのも、小さく部分をつかむのも、すべて自己責任において自由自在なのです。

 神さまからの教えも無限の種類の無限の段階があるのです。どの教えを受けどのように味わうのも、すべて自分の自由です。自分が自由に選んでいるのだということを忘れると、教えに縛られ、その奴隷になるのです。どんな教えにも言葉の縛りがあります。言葉の縛りから自由になる為には、自分の自由意志で積極的に言葉を選び続けてゆくことが大事なのです。
 本来自由自在であるはずの自分がなぜ縛られるのか。それは自分から積極的に自由自在性を発揮しないからです。

10.
 光を灯せば闇は消えるのです。大きい光を灯せば、小さな光も闇も消えるのです。マイナスの言葉の縛りから自由になる秘訣は、より大きなプラスの言葉を、一瞬一瞬新たに、積極的に駆使し続けることです。
 無限の無限のプラスの言葉を選んで駆使し続ければ、すべての言葉の縛りから自由になれるのです。

 言葉は心の向きを定める道具です。
心の向きさえ正しくなれば、自然に神さまを感受することができるのです。

11.
 物事を正しく見抜く洞察力・眼力が必要なのです。
 何が真実か、何が事実か、またそれぞれの細部にわたる違いが見抜けなければ、判断を誤ることになるのです。
 一人の人の発する言葉も、何者が発しているのか見抜かなければ、その言葉を信じ受け入れたら、自分もその言葉を発したものと同じレベルに同化してゆくのです。業想念に操られた言葉であったら、自分も同じ業想念の心にその奴隷に陥ってゆくのです。
 同じ体を持つ一人の人も、ころころとその状況は変化しているのです。何を信じ受け入れるかは、一人一人の問題なのです。

12.
 本当の正しい言葉の使い方というのは、『新たなる今を生きる』ところから生まれ出てくるのです。
 今与えられているものをほめたたえ、感謝し、喜ぶだけです。
 新たなる今を生きるだけです。
 過去も未来も相手にしないのが良いのです。
 肉体や物体を通して働く、肉体や物体の奥で背後で働いている神さまをしっかりと認めてゆくということがお祈りの秘訣であり、最も大事なことなのです。

13.
 人は本心の心(感謝の心)を生きている時に、神さまから無限の無限の幸せを感受できるのです。
 すべての問題は感謝を忘れたときに生ずるのです。
 感謝に生きるのか、思いに生きるのか、人は常に二者択一の選択を迫られているのです。
 自分自身が全責任を持ってどちらかを選ばなければならないのです。

 最後の最後に来たときに、本人の本当の自由意志が問われるのです。

14.
 神さまの強い光が降りると、明るく照らし出されて、今まで区別できなかったものも、その違いがはっきりしてくるのです。
 同じように真理を学び、感謝の祈りをしているように見えても、その心境の差、波の違いがはっきりと示されて来るのです。それぞれが自分にふさわしい勉強の場で、波長の合うもの同志が一緒に歩むことになるのです。

15.
 自分の中にマイナスがあると、そのマイナスが鏡に写し出されたとき、そのマイナスを見せつけられたように思って、鏡に写った自分の姿を責め裁いてしまうのです。
 他のマイナスの言葉にひっかかり反応してしまうのも、自分の中に同じマイナスがあるからです。謙虚に反省できなければ、マイナスの言葉に引き込まれて、思いの泥沼に沈んでゆくのです。

16.
 同じ心の状態の人はどこにもいないのです。
 だから同じ番組を見ている人は、誰一人としていないのです。
 自分の見ている番組は、自分一人だけが見ている番組です。
 このことさえ理解できたら、自分のチャンネルの切替えは自由自在にできるのです。

 人は常に自己表現に生きているのです。
 だから自然に、知らず知らずのうちに、自分自身のことを、自分の心の状態を、言葉で表現するようになっているのです。
 自分と言葉とは一体なのです。
 誰でもみんな言葉通りの自分になるのです。
 言葉通りの自分になっているのです。
 言葉通りの自分なのです。

17.
 地球の平和とみんなの幸せの為には、本当の愛を生きなければならないのです。一切の報いを求めないで、自分のすべてを与え尽くしてゆくのが、本当の愛なのです。
 純粋に与えて与え尽すのが、本当の愛なのです。
 波長が合わなかったら、神さまの愛が有っても無いのと同じなのです。

18.
 同じ「ありがとうございます」という言葉を唱えていても、その中身の違いによって、次の四つに大別されるのです。

(1)世間一般のお礼・感謝の気持ちを伝える為のものです。
 「ありがとう」「ありがとうございました」と同類のものです。

(2)思いや願いを叶える為に、呪文的に念力的に唱えるものです。
 ご利益信仰の最たるものであって、正しい感謝の祈りとは正反対です。
 思いが消えないので、本心開発につながらないのです。

(3)一切の思いや願いを捨て切って、本心の心で純粋な感謝の心で神さまの光のプレゼントを、一瞬一瞬新たに新たに受け直すものです。

(4)自分の心を鏡に写す虚の世界から抜け出て、真実の神さまの世界に入ってする感謝の祈りです。これが感謝の真祈りです。

19.
 マイナスの言葉は、見るだけで、聞くだけで、気枯れるのです。
 マイナスの言葉を見たら、聞いたら、言ったら、それだけでマイナスを増幅しているのです。
 人はマイナスの一言で苦しむのです。
  消す力が無かったら、決して聞いてはならないのです。
 過去はすでに消えて無いのに、過去をつかむ一言で、思いの心に陥って苦しむのです。
 感謝の心と思いの心では何事もすべて正反対に受けるのです。

 マイナスの言葉は一切相手にしないことです。
 すべては言葉の通りになるというのが、厳然たる宇宙の法則です。

 「ありがとうございます」と祈り続けたら、どんな苦しい思いも必ず消えるのです。
 すべての移り変わりを、楽天的無常観で眺めることです。
 真実とは、神さまの絶対の愛がすべてであるということです。
 神さまに心を向け続けることです。
 神さまだけを相手にすることです。
 感謝の祈りを、感謝の真祈りを祈り続けることです。
 同じものは何一つ無く、同じことは二度と繰り返されない。
  これが宇宙創造の鉄則です。

20.
 神さまの救いの働きのお手伝いをさせていただく為には、「この生命を神さまの御用にお使い下さい。」と全託して、心を神さまへ向けて、ただひたすら「ありがとうございます」と唱え続けることです。

 この世に心を向けるということは、過去をつかむことになるのです。
 自分の心をこの世に向けている限りは、お祈りにはならないのです。
 神さまの光を受け取ることができないのです。
 この世の救いは神さまに委ねて、自分はただひたすらに心を神さまだけに向けて「ありがとうございます」と感謝し続けることが大事です。その時に神さまの光は自分を通して大きく必要なところへ照射されるのです。自分が他を救おうとして、力む必要もなければ、つかむ必要もないのです。

21.
 自分のほかには神さましか存在しないのです。
 自分と神さまとの一対一の関係だけです。
 自分が神さまから何を受け取るかだけなのです。

 自分という感覚が残っている間は、受けては与え、与えては受けという感じです。
 受けながら同時に与えているのです。与えながら同時に受けているのです。自分の中を神さまの光が連続して流れ続けているだけです。

22.
 言葉は利き剣です。

 人は自分の心に種蒔く言葉を、責任を持って選ばなければならないのです。世界の平和を、万類の幸せを願うならば、プラスの言葉だけを自分の心に種蒔かなければならないのです。
 感謝の真祈りをいのちかけて祈り続けて、最高のプラスの言葉を種蒔き続ける必要があるのです。

23.
 感謝の真祈りを祈りに祈って、天照大御神としての自覚を深めることが、何よりも一番大事なことなのです。
 天照大御神としての自分を生きてこそ、正しい人生の目的が定まり、生き甲斐も喜びも湧いて来るのです。

24.
 神さまの絶対感謝は、恩返しの絶対奉仕となって現実化したときが、本物です。
 神さまの順流の世界は、感謝だけの世界、恩返しだけの世界、一切の報いを求めることなく与え尽し合う世界です。

 求める心を微塵も必要としないのです。
 神さまの絶対の愛を生きるだけです。

 思いの心・求める心をすべて消し切らない限りは、本当の正しい生き方はできないのです。
 どうすれば思いの心・求める心を消し切ることができるのか、一人一人が真剣に取り組まなければならないのです。

25.
 絶対感謝と絶対奉仕が一つになったときが本物なのです。

 すべてに対して責任を持つ総責任者の立場に立って、限界を破り、全力を尽して、不可能を可能にしてゆくときに、天照大御神は大きく力を添えに輝き出て来るのです。

 恩返しだけに生きるときに、感謝の心が湧き出て来るのです。
 感謝を深める秘訣は、恩返しだけに生きることなのです。

 絶対感謝に生きようとする者は、一切の求める心を捨て切らなければならないのです。
 自分の思い・願いを、すべて捨て切る必要があるのです。
 天照大御神さまへの絶対信順、全託が必要なのです。

 思いの心・分別心を捨て切って、天照大御神さまの絶対の愛の働きだけをしっかりと受け入れるだけです。

26.
 宇宙の大神さまの最高表現・天照大御神は、絶対の愛そのものです。
神さまの「絶対の愛」は、(1)大犠牲精神の愛 (2)思いやりの愛 (3)寛容の愛 (4)赦しの愛 (5)一体感の愛です。

 (1)すべてのマイナスを身替わりに背負って消し去る愛 (2)必要なものを的確に与え尽す愛 (3)すべてを光一元にプラスに観る愛 (4)新たに新たに天照大御神を受け直す愛 (5)すべてを自分と感じる愛。
 「愛する」ということは、「感謝する」「拝む」ことであり、「恩返しする」「与え尽す」ことなのです。
 人は先ず神さまを愛することによって、その愛を本物にしてゆけるのです。
 この世のすべての愛は、神さまの愛にまで高め上げてこそ本物に成るのです。
 恋愛・夫婦愛・親子愛・兄弟愛・友愛・師弟愛・人類愛・生類愛・博愛等々、すべての愛は、一切の報いを求めない、純粋な与え尽す愛に成ったときが本物です。
 「愛」は与え尽すだけです。
 相手に何も求めないのです。
 相手の自由を決して縛らないのです。
 「思いの心」は求める心であり、相手の自由を縛る心です。
 「愛」は光です。
 愛することによって思いは消えてゆくのです。
 愛は本物に成るのです。

27.
 人生の真の正しい目的とは何か。
 神さまの目的を自分の目的とするときに、正しい人生の目的が定まるのです。
 これは人にとって永遠の命題です。
 神さまと共に歩む人生が、一番幸せな人生なのです。
 神さまの動きは常に螺旋状に進むのです。
 目的に向かっての最短コースは常に螺旋状に進む道です。

 思いの心は常に神さまの御心とは正反対に進もうとするのです。だから思いの心を生きる者に対して神さまの導きは、常に方便の教えです。
 感謝の心を生きる者に対しては、真理を真実の教えを説いて導くのです。神さまの教え・導きは、人生航路において羅針盤の働きをするのです。
 自分勝手な一人よがりの歩み方は、常に最短コースから遠ざかっているのです。

 一瞬一瞬の軌道修正が必要なのです。

 神さまの導きに絶対帰一・絶対随順・絶対奉仕することが、最短コースを歩む為の必須条件です。一瞬一瞬新たに新たに、神さまの導きを受け直して歩むことが必要なのです。

 神さまの導き・羅針盤が無かったら、正しい目的地に到達することは、永遠に不可能です。
 正しい目的地とは、最高の悟りの境地です。
 絶対の愛を生きる天照大御神としての自分です。

28.
 常に一瞬一瞬が、思いの心を生きるか、感謝の心を生きるのか二者択一です。
 感謝の心は天照大御神としての自分を、最高に自由自在な自分を自覚するので、恩返しの心で自分の自由を捧げ尽して、絶対の中心へ絶対帰一・絶対随順・絶対奉仕しようとするのです。
 無限の選択肢の中から最高の生き方を一つ選んで、最高の自由自在性を発揮しているのです。

 自分の立場・自分の願いを捨て切って、自分の自由を完全に捧げ尽して絶対奉仕に生きようとするのは、天照大御神としての自分の生き方なので、ますます自由自在に成るのです。

 思いの心・自我の心の自由の発揮は、お互いの自由を妨げ合い・奪い合うのです。
 感謝の心・本心の心の自由の放棄は、お互いが相手の自由を優先させ、譲り合うのです。お互いの自由を妨げない自由の発揮なのです。
 光でも自分を主張すると、不透明な光となって、お互いの光を打ち消し合うのです。謙虚にしりぞいて他を生かそうとすれば、透明な光となって、お互いの良さを生かし合うのです。

 渦巻く濁流に翻弄されている木の葉の自由は本当の自由では無いのです。いかなる障害物も自由自在にすり抜ける鯉のような自由が本当の自由です。環境に縛られない・影響されない自由が本物なのです。

29.
 神さまの言葉・真理の言葉は、少なくとも10通り以上の解釈を施せてこそ、正しく解釈したと言えるのです。同じ言葉でも小さな・浅い・低い解釈もあれば、大きな・深い・高い解釈もあるのです。
 思いの世界の辞書と感謝の世界の辞書とは、正反対に解釈する場合が多いのです。またわざと真意とは別に反対の言葉を使うこともあるのです。
 いろんな段階の人に同時に合うようにしているのです。

 どんな真理の言葉も今を新たに受け直せば、常に新しい神さまの導きの言葉となるのです。今の自分の心境に応じた受け方ができるのです。
 謙虚に素直に真剣になればなるほど、正しい最高の受け方ができるのです。
 本当の謙虚さは、神さまの他には何も無いと神さまだけを認めることです。へりくだって自分を卑下することではないのです。
 本当の素直さは、神さまだけにハイと従うことです。
 何にでもハイと従うことではないのです。
 本当の真剣さは、神さまだけに一点集中することです。
 がむしゃらに力んで頑張ることではないのです。

 自分の心境に合った、正しい教えを、正しく受けて、正しく実行することが大切です。
 自分の心境の変化に応じて、必要なものは瞬々刻々変化するのです。
 無限に一杯目の前に持って来ても、消化吸収できないのです。
 どんな場合も必要なだけが一番良いのです。

30.
 本当の自由自在な生き方をする為には、全体・全相・全貌を把握しなければならないのです。
 全体を把握する地図があってこそ、目的地に到達できるのです。
 山に入っても、山全体を見ていなければ、迷ってしまうのです。
 常にすべての全体像を把握してこそ、そこに本当の自由があるのです。

 先ず言葉選びが一番大事なのです。
 次にその言葉を駆使し続けることです。

31.
 絶対感謝に生きる為には、古い自分のすべてを消し切る一大勇猛心が必要なのです。
 本当に絶対感謝の世界へ引き上げてほしいのかどうか、自分の自由意志をはっきり示さなければならないのです。
 感謝の世界へ入る為には、「ありがとうございます」といういのち綱を絶対に離さないということが必須条件です。
 絶対感謝の世界へ入る為には、感謝の真祈りを自分の自由意志で選んで、実行し続けることです。

 自分の思い通りに生きようとする人、自分の力で生きようとする人は、感謝の世界へ入ろうとしていないのです。
 未だ機縁が熟していないのです。

 無力感にうちひしがれ、愚鈍で不器用な生き方しかできないという人が、この道しか無いと絞り込み易いのです。
 自分の自由意志で選んで、本当に絞り込んだら、絶対感謝の世界へ入ることができるのです。

 常に無限の選択肢の中から何を選ぶかが問われているのです。

32.
 人の本質は、神・言霊・言葉です。
 だから人にとっては言葉がすべてであり、一番大事なのです。
 見るだけで、聞くだけで、言うだけで、その言葉(広義の言葉・文字だけでなく、映像、響き等も含む)は自分の心に蓄積するのです。

 真の見ざる・聞かざる・言わざるの修行とは、常に積極的に無限の無限のプラスの言葉を見たり・聞いたり・言ったりすることです。
 更には無限の無限のプラスの言葉を心の奥深くで唱え続けることです。
 そうすれば無限の無限のプラスの言葉だけが心に定着し、それが信念となるのです。
 現実は自分の心を映す鏡です。
 現実は常に自分の言葉の集積・心の結果として現われているのです。

 過去を現実を相手にして言葉を使えば、同じようなことを繰り返すことになるのです。歴史は繰り返されるというのはその実例です。

 今自分自身にとって一番大事なことは、新たに新たに無限の無限のプラスの言葉を心に積み重ねてゆくことです。
 言葉を支配すれば、心を支配し、環境を支配できるのです。
 無限の無限のプラスの言葉だけを何が何でも使い続けることです。

33.
 個の天照大御神としての自分は、常に宇宙の大神さまへ絶対感謝を捧げ、恩返しの絶対奉仕に生きて、一瞬一瞬新たに新たに、無限に輝き続けているのです。

 無限の無限のプラスの言葉を積極的に駆使し続ければ、心には無限の無限のプラスの言葉だけが定着し、それが信念となって、天照大御神としての自分に波が合うようになるのです。

 感謝が深くなり、天照大御神としての自分の自覚がよみがえれば、顕幽、プラス・マイナス、実と虚の両界を光一元・プラス一元に観ることができるのです。
 光だけ、プラスだけ、神さまだけというのが、正しい観方なのです。
 この生き方が神ながらの大道の歩み方です。
 絶対感謝というのは、この中にすべての感謝が含まれている感謝です。
 絶対奉仕というのは、この中にすべての奉仕が含まれている奉仕です。
 絶対感謝を捧げ、絶対奉仕に生きるのが究極の生き方です。

34.
 感謝を忘れ、恩返しを忘れたら、必然的に思いの心に、求める心に陥ってゆくのです。
 思いの心を生きるのが、思い通りに生きようとするのが、先ず一番の大きい間違いなのです。楽をして自分のしたいことをしているようでは、思いの感謝はできても、真の感謝は深まってゆかないのです。

 真の感謝は、光の心に、光源の心に戻らなければならないのです。
 それは全体を支える大きい働きの自分です。

35.
 この生命を神さまの御用にお使い下さいと投げ出すことです。
 神さまの願いを生きることです。
 神さまの手足となって、粉骨砕身して働くことです。
 全体を支える為の大きな働きをしてゆくことです。
 常に全体を支える為の獅子奮迅の働きをしてゆくことが、真の絶対奉仕です。
 その時に感謝の心が無限に湧き上がって来るのです。
 湧き上がってくる感謝が真の感謝です。
 求める心で祈る感謝は、真の感謝ではないのです。
 与え尽す心で祈る感謝が、真の湧き上がる感謝なのです。
 謙虚にならなければ、思いは殖え続けるだけです。
 自分自身が実行しただけが、自分のものになるのです。

36.
 思いの黒雲におおわれてしまったら、何が正しいのか気付かなくなってしまうのです。
 思いの世界から感謝の世界へ抜け出る唯一無二の方法とは、神さまへの恩返しの絶対奉仕に生きること、唯これだけです。
 大自然のすべては神さまの絶対の愛を表現しているのです。
 人が他からの縛りを感じるのは、自分の働きが余りにも小さいからです。神さまのように無限の働きを与え尽していたら、誰からも強制されないのです。真の自由は、恩返しの絶対奉仕の中にあるのです。

 人も少なくとも3人前以上の働きをするようになれば、誰からも強制されて自由を縛られることは無いのです。更には10人前以上の働きをするようになれば、神さまのように自分の自由意志を先行させることができるのです。真に真に神さまへの恩返しの絶対奉仕に生きる以外に、真の自由を体得する方法は無いのです。
 自分勝手な自由を生きるのは、癌細胞のような生き方です。
 全体から切り棄てられるか、全体を滅ぼして自分も滅ぶしか無いのです。

37.
 人は皆誰一人の例外も無く、神さまからの最高のプレゼントを与えられているのです。
 それは真の自由と真の平等です。
 このことに気付いた人が真の幸せ者なのです。

 自分の自由意志を最高に発揮するということは、無限の無限のプラスの言葉を心に受け入れて、無限の無限のプラスの信念を創り上げ、その信念をもって最高番組に波長を合わせ、最高に幸せな運命を味わうことです。

 周りの環境の影響を受けて、自分の信念がコロコロ変化するようでは、環境の奴隷です。今見ている番組・環境の姿を無造作に何でも心に受け入れるのは、本当の素直ではないのです。
 神さまに素直・真理に素直というのは、最高のプラスだけを選んで受け入れることなのです。

 マイナスを選ぶのは、自由意志が選んだのではなく、環境の奴隷、思いの奴隷状態に陥って、マイナスを選ばされているだけです。自己のマイナスの信念に波長の合うものを引き寄せているだけなのです。
 プラスの言葉だけを選んで自己の信念をプラスに変えてゆかなければ、本当の自由意志の発揮ではないのです。

 天照大御神 独在! これが真実です。
 天の岩戸は開かれ、天照大御神への絶対感謝の道が成就し、地球人類救済の希望の光が大きく輝いているのです。
 感謝の真祈りを祈ることが、闇・マイナス・思いを消し去り、光・プラス・感謝を加えることになるのです。
 感謝の真祈りの実行によってのみ、祈り人が殖えるのです。

 「 天照大御神今ここに在します。みんな天照大御神!
  新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!」

 感謝の真祈りを祈り続ける為には、最高の自由意志の発揮が必要です。

 


 無限の無限の輝きが無限に無限に一杯! ありがとうございます
 無限の無限の感謝が無限に無限に一杯! ありがとうございます
 無限の無限の幸せが無限に無限に一杯! ありがとうございます
 無限の無限の喜びが無限に無限に一杯! ありがとうございます
 無限の無限の安らぎが無限に無限に一杯! ありがとうございます
 無限の無限の健康が無限に無限に一杯! ありがとうございます
 無限の無限の恵みが無限に無限に一杯! ありがとうございます
 無限の無限の愛が無限に無限に一杯! ありがとうございます
 無限の無限の知恵が無限に無限に一杯! ありがとうございます
 無限の無限の導きが無限に無限に一杯! ありがとうございます
 無限の無限の平和が無限に無限に一杯! ありがとうございます
 無限の無限の調和が無限に無限に一杯! ありがとうございます
 ありがとうございます