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 本心(真我・神・仏)の自覚を深め、本心の自分を生き、本心を光輝かしてその素晴らしさを表現してゆくことが、人生の真の目的である。肉体のみが自分であると錯覚し、想念感情を満足させることが幸福なのだと考えて生きていては、業想念の奴隷であって、決して真実の幸福を得ることはできないのである。“心に思ったことが形に現れてくる”というのは三界唯心所現の心の法則である。今、運命として現れているのは、過去において自分の心に思ったものが、時間の経過と共に出てきているものである。今から心に思うことは、未来において必ず形に現れて出てくるのである。これは法則である。もしこの法則のままに、人間が心に思ったとおりに運命として形に現れたとすれば、きっと地獄絵図を現出しているに違いない。病気になっても健康を思い、貧乏になっても豊かさを思い、悪を見ても善を思い、戦争になっても平和を思えるような達人は別にして、大部分の人は自分の心をまだ自由に支配することができないでいる。見たり聞いたりしたことをそのまま心に思ってしまうようでは、例えば一度病気にかかったら、病気を思い続けることになって、決して病気が治らないということになってしまう。万事がそのとおりだとすれば、またたく間に地獄という最悪の運命に落ち込むのは当然すぎるほど当然なのである。

 ところが守護の神霊の加護によって、運命は大きく修正され、大難は小難に、小難は無難にと変化し、地獄の苦しみを味わうのが当然なのに軽く軽く済ませてもらっている。この事実に気付くならば、涙を流して守護の神霊に感謝しなければならないのは言うまでもないことである。いかに自業自得とは言え、自己の不運を嘆く暇があったら、守護の神霊がその地獄の苦しみを肩代わりして消し続けてくれている涙ぐましい努力に少しでも感謝を深めてゆくべきである。そして守護の神霊への感謝をもとにして、自分の心を立派に磨くために、真剣な努力を積み重ねて行かなければならない。

 心を本心に向けて、本心の素晴らしさのみを心に受け入れて思え! 決して決して本心に背を向けてはならない。そのためには自己の立場を地獄のどん底に一旦置いて、そこから心を本心に向けて、すべてを光一元に拝みあげて、本心の素晴らしさを無限の無限の深い感謝で受けてゆくことである。本心の中にはすべての善きもの・美しきもの・素晴らしきもの等々が無限に充満している。本心は無限の無限の大光明である。無限の無限の深い感謝でその光を受けよ。本心は無限の無限の幸福である。無限の無限の深い感謝でその幸福を受けよ。本心は無限の無限の力である。無限の無限の深い感謝でその無限力を受けよ。祈りに祈って本心の自覚に還り、祈りに祈って本心の大光明を全宇宙に放射し、明るく朗らかに、愛と知恵と勇気をもって、自由自在に生きて、無限の創造を楽しんでこそ、本当の生きがいも喜びも湧いてくるものである。