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地獄へ降りるという意味

 みなさんはいつもどこにいらっしゃるんですか。一番高い世界? 極楽世界? 一番下の地獄?
 一番いいのは一番下の地獄のどん底ですよね。地獄のどん底に降りたら一番幸せになれる。みんな逆に思うでしょう。「悟ろう」と思ったら上に行こうとするでしょう、逆なんよね。
 地獄のどん底で周りを見回したら、凄いでしょう、「みんな無限の苦しみで一杯」という姿をとるでしょう。それを眺めた時どう感じられます?
 思いの心だと「ああ、可哀相に」となるね。でも、感謝の心だと逆になるわね「ああ、みんな自分の身代わりに、自分が背負うべきものをぜんぶ背負って助けてくださってる」と見るでしょう。「愛の極地を生きてる女神さまばっかし」という感じでしょう。
 地獄のどん底に自分を置いた時に、「なんて自分は神さまの大きい愛に包まれてるんだろう」って、もうありがたいばっかし、涙を流して感謝し続けても、とても感謝しきれないという感じよね。「神さまの愛の塊」と見えるんですね。その心で神さまから全てのプレゼントを受ける、一番下から、地獄のどん底から神さまを本当の意味で仰ぎ見て、無限の無限のチャンネルを受け取るのね。地獄ですら無限の無限の幸せが一杯になるでしょう。そうしたら他の番組も全部そうよ。もう、「言葉で現せない素晴らしいプレゼントばっかし」という感じでしょう。それも一瞬一瞬、みんな置き換えてくるのね。
 今、無限の無限のチャンネルを受けたとして、次ガラッと変わった無限の無限のチャンネルになるのも凄いよね、時間も入れ子構造の時間なんですけどね。とても言葉で表現できないでしょう。そこまで神さまは幸せを与え続けてくるの。早く地獄へ行きたいでしょう、はははは、早く地獄へ降りた人が徳(得)なのよ。

 本当に地獄に降りられたら、「最高の幸せ、最高の悟り」よね、神さまの全てを一瞬に受け直せるのね。「神さまの全てを受け直す」というのが最高の悟りで、一番下へ降りないと全部受け取れないよね。だから「悟りへの修行」は「地獄へ降りる修行」かも知れない。
 でもこれは感謝の心に戻らないと、やっぱりそういう感覚になれないですね。まず、感謝して神さまから幸せ一杯にしてもらってはじめて、喜んで地獄に降りられるのね。どんな苦しみでも喜んで背負えるのよね。それも背負った苦しみは一瞬に消されてしまうんだけど、消されても消されてもまた喜んで受けようとするのね。
 ご馳走に本当の価値を見出す時はお腹が空いた時よ。「お腹を空かす」というのは、地獄に降りるのと同じなのね。神さまのプレゼントを本当に無限の価値あるものとして受け取れる状態、これが地獄に降りた状態。だから、地獄に降りないと本当の価値あるものを受け取れないのね。そういう状態に自分を置くというのが必要でしょう。だから、苦しみを自ら背負う方が幸せ一杯に早くなれる。でも苦しみって瞬間に消されてしまうよね。神さまの幸せの補充の仕方が間髪いれずに無限に入ってくるから、幸せになるしかないよね。
 だから、本当は逆な生き方がいいのね。幸せを求めて生きると逃げて行くの、幸せがね。苦しみを求めて生きると幸せが寄ってくる。苦しみを追いかけたらいいのよ、苦しみを追いかけたら苦しみは逃げるのね。幸せが周りから集まってくる。みんな幸せを追いかけるから幸せが逃げちゃうのよね、それで周りから苦しみが集まってくるのね。面白いね。

「本当の自由」がそういうところにもしっかり示されてるのね。どんな運命でも、自分が選べる。絶対人のせいじゃないよね、環境のせいでもないね。
 「思いがあるから感謝できない」のじゃないよ、逆ね「感謝しないから思いがあるだけ」ね。
 頑固に感謝しないのよ、はははは。ちょっと「ありがとうございます」を言ってみたら自然に感謝が湧き出るでしょう、思いが消えていくもんね。感謝しない人って、相当頑固よね、頑張り屋よ。呼吸を止めて「う~ん」とうなってるような姿よね。思いを出すのはやっぱり努力が要るのね。でも、感謝のほうは別に努力は要らんの。思いを出すのを止めたら感謝が湧き出る。自然に「ありがとうございます」って神さまが中から入ってくるにつれて湧き上がるように「ありがとうございます」が出てくるのね。