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 神は愛である! 無限に深く無限に大きな絶対の愛である。肉体人間でも子に対する親の愛は大きく深いものなのである。ましてや神の人間に対する愛はそれよりもはるかにはるかに大きく深いものである。

 子は時には親の思いやりを無視して、自分勝手な生き方をして行き詰まるものであるが、どのような時にも親は子の幸せを願って助けようとするものである。親不孝な子ほど哀れに思われて、その幸せを願わずにはおれないのである。

 神は人間の親である! 人間が神の御心を無視して、極悪非道の限りを尽くして、これ以上の罪は無いと思われるほどの罪悪を積み重ねようとも、神の愛は決して変わることは無いのである。神はすべての罪を許して、すべての悪因縁を浄めて、真実の幸せを与えようとしているのである。それは幼子が泥んこ遊びをして全身泥だらけになっていても、“お母さん”と呼べば、飛んできて全身をきれいに洗って、暖かく抱き締めてくれるようなものである。

 人間は“神の愛は無限に深く無限に大きいものである”ということを心の底から信じなければならない。心の奥底では、みんな 神の絶対の愛を信じているのである。表面の想念感情に惑わされて神の愛を疑うことの無いように、奥底の心を、本心を常に引き出して輝かせていなければならない。

 世の中の多くの人々は自分の力で生きようとしている。自分の力で善を積み重ねて神に近付こうとしている。そして善いことをしなければ神に救ってもらえないのであると考えている。しかしこの考え方は間違いである。なぜならば人間は本来“神に生かされている”のである。神の力によって何事も“させていただいている”のである。神の助けが無ければ人間は全く無力なのである! この事実に気付かなければ、人間は決して真実の幸せをつかむことは出来ないに違いない。神を離れた人間に一体どんな力があり、どんな善いことができるというのだろうか?

 神の救いには善人悪人の差別は無い! 素直に神の愛を信じて受け入れるものが救われるのである。悪を責め裁く心は神の愛を拒絶する心である。善を為さなければ救われないという考えは、神の愛を疑う心である。神を離れた人間にはどんな小さな善も、どんな小さな正しいことも為すことはできないのである。神の愛の輝き出ている時のみが善であり、正しいことであるからである。

 人間がもし不幸に陥っているとしたら、それは自ら神の愛を拒絶して、神の愛を受け入れないからである。幸せになるためには、神の愛を信じて、神に甘えきって、すべてを神に任せてしまえばよいのである。それはとりもなおさず“神さま ありがとうございます”という日々瞬々の絶え間無い感謝行である。これこそが幸せになるための一番の早道であり、一番易しい道なのである。