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 感謝の生き方は、すべてをプラスに受けるのです。少しでもマイナスに受けたら、それは感謝の生き方から外れているのです。「ありがとうございます」と唱えることと、本当の感謝の生き方とは、同じでは無いのです。本当の感謝の生き方ができるように、神さまの無限の助けを受ける為の『祈り言葉』が、「ありがとうございます」の称名なのです。感謝の心は、神さまだけを感受するのです。だからすべてをプラスに受けられるのです。思いの心(五欲の心・煩悩の心・業想念の心)は、神さまを無視しているのです。だから自分にとって都合の良いものだけしか、プラスに感じられないのです。

 本当の感謝一筋の生き方に成る為には、心に蓄積した思い(五欲・煩悩・業想念)のすべてを消し去らなければならないのです。思いの心を生きているのは、思いの心の奴隷状態に陥っているのです。本当の自分を生きるのを忘れているのです。本当の自分は、神さまへの感謝と奉仕に生きるのです。いのちがけの感謝・いのちがけの奉仕に生きてこそ、無限に輝いた本当の自分で有り続けられるのです。どちらの生き方も、自分自身が自分の自由意志で選んでいるのです。だからすべては自分自身の責任なのです。

 惰性に流される生き方は、川の流れに押し流されるゴミのような、敗者の生き方です。急流を遡るアユのように、滝を登る鯉のように、全力を発揮して、いのちを輝かせる生き方が、勝者の生き方です。感謝に生きる人は、困難に戯れ、苦労を楽しみ、いのちを輝かせて、幸せを無限に大きくしてゆくだけです。本当の幸せは、棚からぼた餅式の僥倖では無いのです。真剣に努力して、発見し・掴み取ってこそ、無限の価値ある幸せになるのです。

 真剣に感謝し、真剣に奉仕してきた人は、必ず無限の幸せで一杯!です。感謝と奉仕の生き方を忘れ・怠って来た人が、七難八苦の状態に陥っているのです。どんな魚も、泳ぐ能力をもっているのです。泳がなかったら、ゴミのように押し流されるのです。人の本質も、感謝と奉仕に生きて、幸せに成るようになっているのです。真剣に感謝し、真剣に奉仕するようになった時から、無限の幸せで一杯!に成るのです。

 感謝に生きる人は、自分の周りのすべてを、神さまの愛の姿に観るのです。自分の心に蓄積した、無限のマイナス・無限の思い・無限の借りを、神さまが身代わりに背負って、消し去って下さっているのだと気付くのです。地獄の姿も餓鬼道の姿も、みんな自分のマイナスを消し去る為の、神さまの大愛の姿なのだと気付いてこそ、本当の感謝なのです。自分の思い通りになって喜んでいるのは、真の感謝からは程遠いのです。先ずこの世のすべてに対して、涙を流して感謝する程でなければ、感謝の初歩の第一歩も踏み出せていないことになるのです。

 真剣に働く人が、無限の幸せで一杯!に成るのです。働くとは、側を楽にする、他を幸せにすることです。他の幸せの為に、真剣に努力し、全力を尽くしてこそ、幸せに成れるのです。怠けていて、幸せに成れる道理は無いのです。本当に全力を出し尽くしているかどうかは、自分自身がよく知っているのです。怠けている時は、不完全燃焼の状態になって、思いの煙が立ち込めて、幸せは感じられないのです。全力を尽くして、いのちを輝かせた時に、思いの霧が晴れて、神さまを感じ、幸せに成れるのです。

 思いが有るから、感謝できないのでは無いのです。感謝しないから、思いの奴隷に陥るしか無いのです。思いが有るから、奉仕できないのでは無いのです。奉仕しないから、思いの奴隷に陥るしか無いのです。先ず感謝と奉仕に生きようとすることです。